ヒシクイ観察会:予想以上の70人参加--古川の化女沼 /宮城

1月19日12時2分配信 毎日新聞

 ◇大崎の市民団体「人気集めてびっくり」
 ラムサール条約に昨秋、湿地登録された大崎市古川の化女沼で17日、ヒシクイのねぐら入り観察会が行われた。同沼が登録される決め手になった多数の越冬ヒシクイを見ようと、予想を大幅に上回る約70人が参加。ヒシクイ観察歴25年で、ガイド役を務めた「雁の里親友の会」事務局長の池内俊雄さん(48)=同市三本木=は「参加者は20人程度とみていた。ヒシクイがこんなに人気を集めたことはなかった」とびっくりしていた。
 観察会は、大崎の自然財産を実感しようと市民団体の「大崎市生き活(い)きまちづくり21委員会」が主催した。
 昨秋、別団体が観察会を開いたが、その際はヒシクイの飛来数が数えるほどで、今回が実質的な「登録後の初観察会」。池内さんは「ロシア・カムチャツカ半島から日本に飛来・越冬するヒシクイの9割に当たる6000羽以上が化女沼をねぐらに周辺の田の落ちもみや雑草の新芽を採餌する」と説明した。
 午後5時過ぎ、マガンの大半が沼に降りた後、ヒシクイが数百羽から10羽単位でさみだれ式にねぐら入り。マガンより一回り大型の体で、ゆったりした羽ばたきのヒシクイに、参加者たちは生き物の多様さの一端を感じ取っていた。
 ヒシクイはカモ科の野鳥で、オオヒシクイやヒシクイなど4亜種に分かれ、化女沼に集まっているのは、このうち「亜種ヒシクイ」。池内さんによると、日本では狩猟禁止で、餌になる落ちもみや雑草の新芽が豊富なため、狩猟圧力を受ける北朝鮮などに渡る群れよりカムチャツカに戻った後の繁殖率が良い。また、以前は関東に多数飛来していたが、開発が進むとともに、本拠地が化女沼と周辺の水田地帯に移ったのだという。【小原博人】

息子にも極秘「コメ炊きの技」伝授 人気の定食店主人が後継者探し

1月11日22時49分配信 産経新聞

 「ご飯がおいしい店」として人気がある大阪府堺市堺区の定食屋「銀シャリ屋 げこ亭」の主人、村嶋孟(つとむ)さん(78)が、これまで「一代限り」として自分の息子たちにも教えてこなかったコメ炊きの技を伝承することを決め“後継者探し”をしている。村嶋さんのコメ炊きは大手電機メーカーの炊飯器の開発担当者や、東京・築地のすし店主がアドバイスを求めに来るほどの評判の技。「自分なりに追及してきた味を伝えることができたら」と話している。

 げこ亭は昭和38年、村嶋さんが32歳のときに創業した。戦時中に、雑草を食べざるをえないほどの食糧難を体験し「みんなにうまいご飯を食べさせたい」とコメのおいしさに徹底的にこだわった経営をしてきた。

 他の飲食店に比べ、ご飯を短時間で炊くのが特徴で、火力の強いガス火で一気に炊きあげる。この火加減に加え、大きなひしゃくを使ってかまの中の微妙な水加減をするのが長年培われた技で、村嶋さんは「コメは水が命」と話す。

 炊きあげたご飯は、ふっくらとして弾力のあるおいしさ。「ぶりの照り焼き」や「卵焼き」といったおかずとともに、ご飯のおいしさが口コミで広がり、お昼どきには行列ができ、昼過ぎには売り切れになってしまう日も多いという。

 長男の隆さん(51)と二男の忠良さん(47)も料理人としてともに働いているが、それぞれ魚や肉などのおかずの調理を担当しているため「コメににおいが移る」とコメ炊きを教えないほど、村嶋さんは徹底的にご飯の味にこだわってきた。

 毎朝4時に起床して仕込みを始める村嶋さんだが、年々体力の低下も感じているという。これまで周囲から問われると「コメ炊きの技術は一代限り。教えるほどのものではない」と話していたが、常連客から「何とかその技を残してほしい」と繰り返し頼まれるうちに「技の伝承」を考えるようになった。

 店内には「50年の味、伝授します」と張り紙を出した。村嶋さんは「技術を真摯(しんし)に学ぶ意欲がある人に教えたい」と話している。

<農地漂流>荒れたまま市が売却 鹿島臨海工業地帯

1月10日2時34分配信 毎日新聞

 茨城県の鹿島臨海工業地帯に農地を持っていた人たちへの代替農地などとして開発組合が買収した土地を、県が鹿嶋市などに雑種地として売却し、同市が一般向けに販売している。多くは、雑草が生い茂ったり、建設残土が不法投棄されるなどしており、周辺で耕作する農家は悪影響を懸念している。農地をつぶし、悪条件のまま販売する行政の手法に批判が出ている。

 工業地帯の造成事業は1960年代に始まり、開発区域を去る住民の住宅用地や代替農地として、茨城県が出資した開発組合が大量の土地を買収した。多くは農地だった。開発の終了で組合は84年に解散。離農などで提供されなかった代替農地などは県が引き継いだ。

 県によると、そのうち170ヘクタールを86年、地元旧3町(現鹿嶋市、神栖市)に売却した。農地の多くは雑種地に転用(地目変更)して引き渡していた。変更の理由は「農地のままでは自治体が所有できないため」だった。

 76ヘクタールを購入した鹿嶋市は、7年前から販売。07年度売り出し分は20区画計23・6ヘクタールで、うち12区画12・6ヘクタールが「元農地」だった。

 毎日新聞が12区画の現況を調べたところ、田野辺地区の16アールの区画(畑)は、高さ2メートル近いササが密生していた。近くにある22アールの区画(畑)には、建設残土が高さ5メートルほど積み上げられていた。

 そばに住む農家の男性は、この2区画を市が所有し、売り出していることを知らなかった。「残土は2年ほど前に積まれた。市に指導を求めたが、動かなかった」と話し、耕作地に汚水などが流れ込まないか心配する。

 少し離れた7アールの区画(田)は地図上は棚田だが、雑木林になっていた。現場につながる2本の農道は草木に覆われ、徒歩で現場に近づけなかった。悪条件の土地は、廃棄物の捨て場や資材置き場などに使われることが多い。

 鹿嶋市企画課は「市が持っていても利用できないので、有効利用してもらおうと売っている。現地は職員が確認し、これまでにトラブルはない」と説明する。これに対し、農業を営む浜田弘・鹿嶋市民オンブズマン代表幹事は「もとが農地なら、耕作地に戻す道を探るべきだ。雑種地では産廃業者に狙われる。現状を放置したままの販売はずさんで、悪質な不動産屋と大差ない」と批判している。【井上英介、田村彰子】

食・見つめて:伊賀・熊野の取り組み/2 日本のコメを守る会の農業体験 /三重

1月4日11時1分配信 毎日新聞

 ◇自給率向上へ啓発
 「よいしょ、よいしょ」
 周囲を里山や田畑に囲まれた名張市安部田で先月21日、NPO法人・日本のコメを守る会主催の農業体験が開かれた。会員や一般市民、60人が参加。子どもたちはNPOの事務担当、浜本孝江さん(64)らの手ほどきを受けながら餅つきを体験し、たき火で遊んだ。
 NPOは94年3月、地元や関西の消費者、有識者により発足。00年に法人化した。米の輸入自由化に伴い、防カビ剤などに汚染された米が国内に入り、市場主義導入で日本農業は崩壊しかねない……。そんな危機感が契機となった。
 「自分たちの食料は自分たちの手で」。これが会の目標だ。そのためには、生産者と消費者の連携が不可欠。その実践として、伊賀地域の生産者が有機無農薬栽培した米を、消費者が直接買い取る活動を始めた。
 さらに、田植えや稲刈りは消費者がし、水やり、草刈りなどの日常管理は生産者が請け負う農業体験も実施。食や健康への関心の高まりもあって、参加者は年々増えている。米に続き、野菜づくりを体験できる「畑のオーナー制」も近く始める予定だ。
 会として重視しているのが子どもたちへの普及、啓発。「小さい時に農業や食の知識を身に着けたら、一生忘れない」。代表代理の伊藤伝一さん(78)=同市安部田=は強調する。市内の小学校に出向き、紙マルチで雑草の繁殖を防ぐ農法も紹介しており、市民対象の農業体験もその一環だ。
 体験は年間4回程度開催しており、今年度は田植えや稲刈り、収穫祭(芋煮会)などを実施した。市の市民公益活動実践事業に採用されており、毎回家族連れでにぎわう。
 餅つきで使った米や小豆は無農薬栽培。祖父と参加した市立つつじが丘小6年の松嵜芽依さん(12)は「とてもおいしい」とつきたてをほおばった。
 「農地の耕作放棄が進み、日本の農業は生産力が落ちている。また、食品偽装にみられるように、消費者の食への不安が高まっており、我々の存在意義は一層高まるはずだ」。伊藤さんはこう力説する。【渕脇直樹】
〔伊賀版〕