ヘチマ化粧水づくり:生産10年 高山の農村女性グループ、今年も「水」採り /岐阜

9月12日14時0分配信 毎日新聞

 ◇一滴一滴、丹精込めて
 ヘチマ化粧水と乳液づくりに取り組んでいる高山市の農村女性たちのグループ「村を10倍楽しく暮らす会」(馬瀬口久子代表)がこのほど、同市八日町のヘチマ畑で原料のヘチマ水の採取作業をした。ヘチマの作付け本数、化粧水の生産量ともに順調に増えており、会は販路拡大に大張り切りだ。
 メンバーは八日町や前原町の40~60代の農家の主婦たち。自宅でホウレンソウなど無農薬野菜づくりに取り組んでいたが、子どもたちが成長したのを機に「農村女性の仲間の輪を広げよう」と91年、会を発足した。
 ヘチマの持つ成分が肌を潤す作用に注目し、98年にヘチマ化粧水「飛騨みやび 自然物語100」(200ミリリットル)を発売。04年には姉妹品の乳液「飛騨ひかり」(120ミリリットル)を商品化した。
 ヘチマ水の採取は、ポリタンクに一滴一滴採取する根気のいる仕事だ。女性たちは苗の定植から草取りなどをして見守ってきた約800本のヘチマ畑(約6アール)で、無数に伸びたツルを地上から約50センチのところで切って数本ずつ束ね、ヘチマ水をポリタンクへ入れた。
 回収したヘチマ水は大阪市の化粧品会社に送られ、美しいビンに入った化粧水と乳液になる。馬瀬口代表によると、今年は化粧水約1000本、乳液約600本ができそうだという。化粧水、乳液ともに1本1890円。イベント会場や市内の道の駅などで販売する。問い合わせは会員の洞口澄子さん(0577・33・8217)。【奈良正臣】

ふゆみずたんぼ:コナギ繁茂で減収 有機先進農法、課題浮上 /宮城

9月11日12時1分配信 毎日新聞

 ◇県北のJAみどりの
 県北のJAみどりの有機農業推進協議会が10日開いた「有機稲作現地検討会」で、先進農法の「ふゆみずたんぼ」(冬期湛水(たんすい)水田)に雑草のコナギ(ミズアオイ科)が多く発育し、収量減が心配される状況になっていることが分かった。ふゆみずたんぼ農法は、農薬を使わずとも抑草効果があるとされてきたが、大きな課題が浮上した。
 大崎市田尻北端の蕪栗沼南側・伸萠(しんぼう)地区にある須藤啓一さん(45)のふゆみずたんぼ20アールを視察。あぜ沿いばかりでなく田の全域にコナギが繁茂しているのを確認した。養分を奪われた稲は茎丈が低く、まだ十分実っていないのに黄金色に。穂のもみ数は少ないという。見込み収量は昨年より少なく10アール当たり360キロを割り込む可能性がある。
 コナギは湿地性の一年草で、多くのこぼれ種で増える。須藤さんは03年からふゆみずたんぼに切り替え、現在、1・9ヘクタールで実施。以前は除草剤を使い、コナギはほとんど発生していなかった。伸萠地区では須藤さんを含め約10戸が約20ヘクタールでふゆみずたんぼを行っているが、コナギの繁殖ぶりはどこも似たり寄ったりという。
 ふゆみずたんぼの理論は「無数のイトミミズが活動し、ふんなどの堆積(たいせき)でトロトロ層ができ、雑草の発芽を抑える、さらに米ぬかやくず大豆の散布で、抑草効果をより高める」。だが、田を乾かす時期や日数、有機資材の散布量などによっては、抑草効果が出ないことも多いことが判明しつつある。
 蕪栗沼と周辺の水田は、渡り鳥と農業の共生を目指しラムサール条約に湿地登録されている。ふゆみずたんぼは、地元自治体と自然環境保全団体が唱導し、農林水産省が補助金を出すなどして実験栽培も行い、本格実施が始まって3年目。雑草の進入度は高まる傾向だという。須藤さんは「ふゆみずたんぼ米は強い需要がある。技術を確立する過程で試行錯誤は避けられない」と話す。【小原博人】

企業の森づくり:木材業フルハシEPOと県が協定 /愛知

9月10日12時1分配信 毎日新聞

 企業が県と協定を結んで県有林の保全に協力する「企業の森づくり」事業で県は9日、新たに木材業「フルハシEPO」(名古屋市中区)と協定を結ぶと発表した。豊田市羽布町の県有林5ヘクタールを対象に、下草刈りや間伐などの保全事業を同社が行う。活動期間は協定を締結する今月11日から3年間。
 事業は、企業の社会貢献活動の一環で県有林の保全を進めるのが目的で、昨年6月に協力企業の募集を始めた。協定締結は同社で3社目となる。【安達一正】

出征兵士の姿、記憶にとどめ JR外房線・東金線の大網駅

9月6日13時53分配信 産経新聞

 明治29年(1896)1月に房総鉄道の駅として現在の千葉県大網白里町南玉に誕生、同40年9月に国鉄大網駅となった。往時は西隣の土気駅との間に1000メートル進んで25メートル登るという急勾配(こうばい)があり、運転士泣かせの“難所”として知られた。客車を牽引(けんいん)する機関車1両だけでは力が足りず、最後尾に別の機関車1両を補助用として連結したという。

 千葉市と外房方面を結ぶ直通列車は大網駅で方向転換する必要があり、折り返して進行できるように軌道が設けられた「スイッチバック方式」も駅の特徴だった。駅近くで飲食店を営む君塚久江さん(65)は「小学生だった昭和20年代は『転車台』で方向転換する列車を眺めるのが楽しみでした」と懐かしむ。

 しかし、スイッチバックを解消し、列車の運行をよりスムーズにするため、駅自体が昭和47年に現在の場所に移転。約500メートル北東に離れた旧駅跡地の通称「旧駅公園」を訪れてみると、「旗振りて 出征兵士見送りし 駅舎の跡に 子らの歓声」と刻まれた石碑が立っていた。大網白里町の島崎善久教育長(75)は「(太平洋戦争当時)何人もの青年が、地元の小学生や婦人会など数十人に送り出されていった駅の出征風景を今も思いだす」と話す。

 駅周辺は米軍機による空襲の標的にもなり、当時を知る会社員、初芝文司さん(66)=同町金谷郷=は「防空壕の窓から見えた焼夷(しょうい)弾の明かりが印象に残っている」と振り返る。

 昭和60年代以降は駅周辺の宅地開発が進み、街は千葉市や東京のベッドタウンとして変貌(へんぼう)を遂げ、駅も表情を変えた。

 「街の顔、表玄関の駅をきれいにしよう」-。10年ほど前から毎月1日にメンバー約20人で駅構内を掃除する「クリーンステーション」(熊木千尋代表)や、駅前公衆トイレの清掃を行う「トイレ掃除に学ぶ会」(野老真理子世話人)が発足。昨夏前には、駅前で生花店を営む桑原妙朋(みほ)さん(59)の呼びかけをきっかけに、毎週日曜に駅ロータリーのプランターや土手に季節の花を植え、雑草を取り除く「大網駅を花でいっぱいにする会」の活動も始まった。

 野老さんは「花を植えて掃除をすると、駅がわが家のように感じます」としみじみと話す。「市民の皆さんと花の世話をし、作業を終えれば持ち寄ったおにぎり、パンを一緒に食べる。本当に楽しいです」と笑顔を見せるのは、日曜朝の美化活動に自ら参加している石下一郎駅長(54)だ。「地域に愛され、とけ込んでいる駅」と強く感じさせられた。(佐藤修、写真も)

 ■大網駅 1日の平均乗降人員=2万2880人(平成19年度)▼開業=明治29(1896)年1月20日▼平日の運行本数=上り92本、下り78本(うち特急は上り、下りとも16本)▼周辺の主な観光スポット=小中池公園(電)0475・70・0360(町都市整備課)、首都圏自然遊歩道(電)0475・70・0356(町産業振興課)、白里海岸(電)0475・70・0356(同)。

和歌山城美化活動に自衛隊員ら260人

9月5日7時51分配信 産経新聞

 和歌山市の和歌山城周辺で4日、自衛隊員やボランティア団体らによる美化活動が行われた。約260人が参加し、和歌山公園内のゴミ拾いや草むしりに汗を流した。

 陸上自衛隊信太山駐屯地(大阪府和泉市)の普通科連隊から参加した約130人の隊員らは午前6時半から準備を始め、堀の石垣の上からロープを使って降り、石垣に生えた雑草を抜く作業などを行った。天守閣の屋根にはハトの糞が多く残っているため、命綱を付けた10人のレンジャー隊員が屋根の先まで行き、ヘラを使って糞を取り除いた。

 紀の川市出身の男性三等陸曹(24)は「県民として和歌山城に愛情を注ぎたい」と屋根の上で懸命に作業していた。

 美化活動は平成4年から毎年行われており、和歌山城管理事務所の小畑光夫所長は「和歌山城は和歌山のシンボル。いつもきれいであってほしい」と話していた。

特産の柿、畑を守るのは牛 西京・大枝地域 猿の出没減少

9月3日15時59分配信 京都新聞

 柿の特産地として知られる京都市西京区大枝地域で、柿畑を猿の食害から守ろうと、山林と柿農園の間に牛を放牧する試みが行われている。例年、夏場に収穫前の柿が食べられてしまう被害が続いていたが、7月に繁殖用の黒毛和牛を放して以降、猿の出没が減少。農家は「今年は無事に収穫できそう」と喜んでいる。
 牛の放牧は牛が雑草を食べることで山林と人里の境界地帯の見晴らしが良くなり、猿などの獣が近寄りにくくなる効果が期待される。近年、綾部市や舞鶴市など京都府北部で取り入れる地域が増えており、京都市と市農協大枝支部が市内で初めての導入を決めた。
 担い手がなく荒れていた山すその柿畑2ヘクタールを電気柵で囲い、7月10日に府畜産技術センター碇高原牧場(京丹後市)から雌牛2頭を借り受けて放した。牛がむしゃむしゃと草を食べて歩き回り、人の背丈ほど伸びていた雑草がなくなっていくにつれ、連日現れていた猿が徐々に来なくなった。
 市農協大枝支部の西小路光喜支部長(79)は「昨年の収穫時には猿が見逃した柿しか残っていないという農家が多かった。今年は被害がほとんどなく、豊富に実っている」と話し、柿を守る牛の存在感に目を細めている。

【特報 追う】海水を肥料にコメ作り 塩分を調整 「甘い」「粘りある」高評価

9月2日7時50分配信 産経新聞

 宮城県登米市の農業生産法人「板倉農産」が、海水やカキ殻を利用したコメづくりに取り組んでいる。農業では「塩害」という言葉があり、農家にとって海水は「農作物を枯らす」というマイナスイメージだが、海水に含まれるマグネシウムなどのミネラルに着目し、肥料にしている。またカキ殻は水産業者にとっては処分に困る“厄介者”だが、独特の処理を施し病害虫除けとして活用。同法人の「海水米」はデビューから今年で3年目。ミネラルの働きで「おいしい」と好評で、引き合いが増えている。また農薬や化学肥料を減らす環境保全型農業が叫ばれる中、「環境に優しい農業」としても注目されている。(石崎慶一)

 「昔は海藻を畑に入れて肥料にしていた」。「板倉農産」社長の阿部善文さん(41)がコメづくりに「海水」を利用するきっかけとなったのは、4年前に取引先の海産物卸売業者から聞いたこの言葉だった。

 宮城県北に位置するコメどころ登米市。阿部さんはここで、アイガモを田んぼに放って雑草や害虫を食べさせ、そのフンを肥料にする「アイガモ農法」や稲ワラやモミ殻などを田んぼに返す循環型農業を実践。農薬や化学肥料に依存しない農法に取り組んできた。

 そうした中で「海藻を畑の肥料」の話にはピンと来るものがあった。関係資料を調べて、富山県で水稲栽培に海水(海洋深層水)を活用する試みを知り、現地を視察。有効性を確信し、“海水農法”導入を決めた。「環境負荷が少ないことも決め手になった」と阿部さん。海から採った水が、役目を終えて排水路、河川を通りまた海へ返る「循環型」の図式が自らの理想と合致していた。

 平成18年作付けのコメから海水農法を導入。海水の手配では、阿部さんに「海藻を畑の肥料」の話を聞かせた海産物卸売業者の「三陸オーシャン」(仙台市泉区)が協力。宮城県石巻市の石巻湾の海水をくみ上げることになった。「海水を田んぼに入れると言ったら石巻の人にはびっくりされた」と阿部さん。それだけ海沿いでは塩害は切実な問題だった。

 海水に含まれる塩分が作物に有害だが、阿部さんは塩害の研究データなどにあたり「海水の塩分濃度3%を1%に下げれば害はない」と推測。「ひとめぼれ」を作付けした30アールの田んぼに夏、海水の“原液”を農業用水で薄めるように流し込んだ。塩害はなく、その年は10アールあたり 480キロの収量があった。海水米は「三陸の煌(きら)めき」と名付けられ、三陸オーシャンなどを通じ「5キロ入り、3150円」で販売が始まった。

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 海水の“効能”は「食味」に現れた。コメのおいしさを数値化する食味計で計ったところ、人気の新潟・魚沼産コシヒカリに遜色(そんしょく)のない数値を示し、試食会でも「甘い」「粘りがある」と高評価だった。板倉農産はホームページで試食を呼びかけ、感想を求めたところ、「今までのひとめぼれと比べ、粒がしっかりして弾力がある」などの声が寄せられた。

 海水に含まれるマグネシウムには食味をアップさせる働きがあるとされるが、単にマグネシウムを補給するのであれば、化学肥料や海水から取った農業用のにがりもある。だが化学肥料はポリシーに反し、農業用にがりは高価。「コメの値段が上がらず、燃料が高騰する中、コストを抑えなければコメ作りはやっていけない。地元の資源を有効に使うところに意義がある」と阿部さん。

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 病害虫対策ではカキの産地、石巻で処理に困っているカキ殻を活用した。自家で農業資材を作るときの副産物の木酢液でカキ殻を溶かして散布。害虫による被害は減少し、効果は上々だった。カキ殻の世話もした三陸オーシャンの木村達男社長(57)は「もともと循環型農業に関心があった。これからも協力していきたい」と語る。

 板倉農産は昨年から作付面積を2倍に拡大。海水の流入時期を田んぼごとにずらして、稔り具合や食味を比較している。これまで毎年田んぼを変えて作付けしてきたが、塩害を検証するため田んぼを固定することも検討していくという。「こうした新しい取り組みは継続していくことが大切で、その中で消費者の評価が出てくると思う」。阿部さんの真剣なまなざしが“穂波”に広がった。

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 ■海水を利用した農業 九州大学大学院の北野雅治教授(農業気象学)が発表した「農業における塩の利用-美味しい野菜づくり」によると、品質向上のために農作物に海水を活用している例は、千葉県の長ネギ、茨城県のキャベツなど。また江戸時代から海水や海藻が農業に使われてきた。海水をくみ取ってムギ畑の肥料にする▽海藻はすべての作物に効く▽ミカンの木の根元に海水をかけるとよい-などの農法が記録としてある。

支局長からの手紙:望郷の花が咲く /高知

9月1日17時2分配信 毎日新聞

 鳥のさえずりが山に響きます。
 国道56号の案内板から脇道に約200メートル入ると、日本人の墓に交じり、安置されていました。黒潮町上川口にある朝鮮国女の墓です。幼児の背ぐらいの小さなお墓に、花が手向けられています。周囲に雑草は見当たりません。同行した植野雅枝さん(70)=同町入野=は「地元の人がきれいにしてくださっているのでしょう」。
 植野さんは地元の中高生らが墓の由来を知らないことに胸を痛め、史実を基に、墓に眠る少女の生涯を童話にしました(27日23面参照)。少女は豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年)の際、連行されましたが、機織りの技術を地元に伝え、打ち解けながらも望郷の念を抱いて亡くなるという内容です。
 元高校教諭の夫末丸さん(04年に71歳で死去)に見せると、「なかなか良く書けている。本にしたらええねえ」と勧めてくれました。「絵描きに頼むと料金が高い」と悩んでいたら、末丸さんが「絵を描いてみよか」と買って出ました。まったくの素人です。絵の具を買うことから始めました。
 もう一つの幸運がありました。宿毛市に完成した中筋川ダム湖の名称募集に、植野さんの「蛍湖」が採用されたのです。自費出版の費用200万円のうち、半分はこの賞金を充てました。そして97年に絵本「むくげの花の少女」を2000部出しました。
 植野さんを突き動かしたのは、小1のころの苦い体験です。出身地・堺市には日本名で通うコリアンの同級生がいました。「優秀な男の子でした」。差別が根強かった戦前です。「お弁当が持参できないその子を友達と一緒に、言葉で侮辱しました」。それが植野さんの父親にばれ、一日中、庭の木に縛り付けられました。父清さんは北朝鮮の鉱山で勤めた経験がありました。現地の人の心情を理解し、差別が見過ごせなかったのです。その後、朝鮮人への強制労働などの悲しい現実を折に触れ説明しました。植野さんの原点です。
 植野さんは毎年、町立上川口小に招かれ、5年生に近くのお墓の由来を伝えます。子どもたちは過去の悲話にびっくりします。植野さんの元には子どもたちの感想が大切に残してあります。「日本はすごく悪いことをした」「放課後に友達とお墓参りに行った」。植野さんは言います。「本当にいい手紙をくれる。一番関係の深い両国。仲良くできんことはない」
 植野さんがまいたムクゲの種は次々と芽吹いています。ハングル版、英語版が相次いで自費出版されました。いずれも赤字覚悟です。通訳ボランティアの野口房子さん(74)=高知市新本町1=は絵本を読んで、すぐにお墓参りをして、「外国の方にぜひ読んでほしい」と英語版を発行しました。
 絵本の題名は、少女の死後、好きだった庭のムクゲが枯れたという言い伝えから名付けました。植野さんは国女の墓に1本のムクゲの木を植えました。すくっと伸びた緑の木は、この夏も大柄の白い花を10輪以上咲かせています。【高知支局長・大澤重人】
  ◇  ◇  ◇
 日本語版はこのほど完売。ハングル版も残部少数。問い合わせは植野さん(0880・43・3146)へ。英語版は飛鳥出版室(088・850・0588)へ。ともに原本の日本語付き。
 shige.oozawa@mbx.mainichi.co.jp

ハスモンヨトウ:ご用心 大発生、農作物被害の恐れ 「早めに駆除を」 /群馬

8月31日12時1分配信 毎日新聞

 野菜などの葉を食べる「ハスモンヨトウ」というガの幼虫が、平年より早く増え始めている。成長段階に応じて餌が変わり、葉物も根菜も食い尽くす厄介者だ。県農業技術センターは「小さいうちに見つけて早めに駆除を」と農家に呼びかけている。
 同センターは、春から秋にかけ、前橋、伊勢崎、富岡、館林の4地点でハスモンヨトウの個体数を調べている。例年は9~10月に増え始めるが、今年は7月初めから8月中旬の個体数が平年の2倍以上だ。職員も巡回で被害を確認している。気象庁は秋口の気温が平年並みか高いと予報しており、さらに増える恐れがあるという。
 ハスモンヨトウは6齢でさなぎになる。若齢のうちは表皮を残して葉肉を食べるため畑が白く見える。中齢では葉脈を残して葉を食べ、老齢になると果実や根菜も食べるようになる。このため被害作物は大豆、サトイモ、キュウリ、イチゴ、白菜、ネギ、ホウレンソウなど数十種類に及ぶ。大発生すると畑ごと食い尽くし、ほかの畑に移動する。
 中齢以上になると農薬の効果が著しく下がるため、同センターは対策として▽若齢幼虫を見つけ農薬を局所散布▽生息地となる雑草を除去▽ハウスなどの入り口に防虫ネットを張る――などを挙げている。【塩崎崇】

松阪木綿で藍染め座布団 両親に感謝込め贈りたい

8月29日11時56分配信 中日新聞

 【三重県】松阪市天白小学校の6年生58人が、卒業式で父母に座ってもらおうと、松阪木綿を使った座布団作りに取り組んでいる。綿や染料のアイの栽培に加えて、染色にも挑戦。子どもたちは「地元の伝統工芸で両親に感謝の気持ちを伝えたい」と張り切っている。

 天白小では、地域文化への理解を深めてもらおうと、4年前の卒業生から松阪木綿の座布団などを作り、両親に贈ってきた。今年も4月に綿花とアイの種をまき、雑草を抜いたり水をあげたりしながら丹精してきた。

 登校日の26日には、松阪木綿の手織り伝承グループ「ゆうづる会」のメンバーのてほどきで生地の染色に汗を流した。児童たちは収穫したアイの葉をミキサーにかけて、染液を準備。布の一部を輪ゴムなどで縛り5分ほど浸した。

 液から上げた生地を水で洗うと、緑から少しずつ青に変色。輪ゴムを取って生地を広げると、鮮やかな青の中に丸や直線の白い模様が現れ、子どもたちは歓声を上げていた。

 11月には座布団の中に詰める綿を収穫して、3学期にはミシンで座布団に仕上げるという。

 中村帆貴君(12)は「輪ゴムの形を1つ1つ工夫したら、きれいな模様になった。裁縫も頑張りたい」と話していた。

 (石原猛)