栗東の新幹線新駅中止:決定から1年 “将来不安”募る地権者 /滋賀

11月6日14時1分配信 毎日新聞

 ◇時間かかる後処理、まとまらない後継プラン
 嘉田由紀子知事が「もったいない」と批判した東海道新幹線新駅(栗東市)が昨年10月末に中止が決まってから丸1年。新駅周辺の土地区画整理事業の後処理に時間がかかり、同事業の後継プランもまとまらない。さらに、先行取得した用地費の負担などで同市の財政指数「将来負担比率」は、国の早期健全化団体の指定基準に迫る数値に悪化。知事は最大の公約を実現したものの、地権者は将来への不安を募らせている。【南文枝、服部正法】
 ◇手腕問われる公約達成の知事
 ◆見えない振興策
 同市の同事業の予定地約50ヘクタールは今は雑草が伸び放題で、同事業は今月末に廃止される見通し。企業・団体を含め238に上る地権者の1人で、農業の中井栄夫さん(50)は「返してもらっても田んぼにするには2、3年かかる」と嘆く。
 県は今年3月、市と後継プランなどの対策協議会を設けたが、話し合いは停滞。地権者は先月9日、面談した嘉田知事に「(知事は)駅を止めるときは強引にやった。その手法で(後継プランも)やってほしい」と詰め寄った。しかし、嘉田知事は同21日、「後継プランを作る主体の栗東市が前向きに取り組んでもらいたいと言っているが、県も具体的な相談に応じている」とし、溝は埋まらない。市は来年度、対策協と別に基本構想をまとめるが、具体策は見えない。
 ◆ひっ迫する市財政
 市は土地開発公社を通じ、新駅予定地周辺の約5ヘクタールを取得。公社の借入金約187億円のうち、新駅関連は約115億円だ。公社は毎年、借入金を金融機関から借り替えていたが、事業目的を失った今年度は約35億円が調達できず、市が補正予算で対応。標準的な収入に対する負債の割合の「将来負担比率」も336%で、早期健全化団体の指定基準(350%)の寸前に。
 また、同市は今年度から3年間で約48億円の財源が不足すると試算。中学給食の廃止など市民サービスを削る一方、来年度は新規事業を認めない方針だ。
 市財政の悪化が新駅と関連付けられがちだが、県関係者は人口増に伴う社会資本整備も要因に指摘。「新駅が進めば将来負担比率は、さらに上がる可能性がある」と反論する。
 県立大の大橋松行教授(政治社会学)は「中止そのものは県民の民意だが、後の処理が遅い。市と県が同じテーブルで地権者にきちんと対応すべきで、長引かすことは地権者への背信行為になる」と批判。華々しい公約達成後の嘉田知事の手腕が問われている。

紅葉の秋が来た――ドイツ人の落ち葉処理の知恵

11月4日8時40分配信 Business Media 誠

 紅葉を美しいと思う人はドイツにも多い。しかし、日本のような紅葉狩りの習慣はなく、そもそも“紅葉”というドイツ語が見当たらない。植生の違いから赤やオレンジより、黄色く色付いた木が目立つのだ。

 一方、日本もドイツも秋になると落葉掃除に苦労するのは一緒。先日訪れたベルリン郊外のファルケンベルク住宅地も庭や街路が落葉で覆われていた。

 ここは世界的建築家ブルーノ・タウトが1913年に建設した労働者のための緑豊かな住宅地。こういったタイプの住宅地は“グリーンシティー”とも呼ばれ、2008年7月には彼が手がけたほかの住宅地とともにユネスコの世界遺産に登録されている。タウトは日本とも縁が深く、ナチスドイツの迫害を逃れて日本に亡命していた3年間に多くの本を著した。当時の日本人が特に価値を見い出していなかった桂離宮を、アテネのパルテノン神殿に並ぶ建築物として世界に紹介するなど、日本の伝統建築に新たな光を投じている(ドイツニュースダイジェスト、外部リンク)。

●街の緑を守る

 ファルケンベルク住宅地を管理するベルリンのBBWO1892住宅組合の役員ヘルマン氏と歩きながら落ち葉掃除の話題になった。住宅敷地内は住民、共有地は組合、公共の道路や歩道は自治体が落ち葉の処理をする仕組みは日本もドイツも同じ。しかし「日本の自治体の中には財政難のため、落ち葉処理の費用を節約しようと街路樹を切り倒してしまうところがある」と話したらヘルマン氏の目が点になった。

 ドイツにも、破産寸前で街路樹を管理する公園局や緑地課を閉鎖する自治体はある。しかし、街路樹は都市景観を織りなす財産だという共通認識があるため、切り倒すという発想はまず出てこないように思う。

 また、市街地の立ち木を守るための法律があり、私有地や公有地の別なく胴回り80センチメートル以上の木は伐採することが禁じられている。伐採するには特別な理由が必要で、個人宅ではこの許可がなかなか下りない。これはこれで「庭の針葉樹が嵐で倒れそうで怖いが、それでも切れない」といった弊害はあるものの、街の緑を守ろうとするドイツの覚悟がよく分かる。

●家庭のコンポスト

 庭のある住宅には必ずコンポストが置かれ、落ち葉を含めた庭の植物ゴミや台所から出る植物性の生ゴミはできる限りここで処理する。ちなみにコンポストとは生ゴミを微生物の力で分解して堆肥化(コンポスト化)する容器と、そこで作られた堆肥(コンポスト)の両方を指す。

 昔はコンポストと言えば木組みが普通だったが、最近では管理しやすいプラスチック製が主流だ。木組みは造りが簡単で自作することもできるが、乾燥や気候の変化に弱く、温度を一定に保ちにくいので、コンポスト化に長時間かかる。この点、プラスチック製のコンポストは内部の環境を一定に保ちやすく扱いが楽で、コンポスト化の時間も木組みの半分、3カ月程度で済む。

 コンポストは家庭から出る生ゴミをすべて処理できると考える人もいるが、これは誤りだ。まず、肉・魚・骨・火を通した料理は腐敗したりネズミが寄ってくるので不可。また、刈り取った草や落ち葉など同種の植物ゴミを大量に入れると生物分解がうまく進まないので、なるべく多種類を入れ、適時土の層を作ってサンドイッチ状にするといい。内部の状態をチェックしながら必要ならばミネラル分を加え、スタート時には市販のパック入り微生物も利用する。

 以前、日本から「ドイツではコンポスト用のミミズが売られていると聞きましたが本当ですか?」と質問をいただいたことがある。園芸用品の通販で見たような気はするが一般的ではないようだ。もし、ミミズが必要ならば近所の庭からミミズ入りコンポストをおすそ分けしてもらうのが手っ取り早い。庭のない住宅向けにベランダ用コンポストが研究されたこともあるが、こちらは管理が難しく悪臭が発生するなどの理由で一般化していない。

●公共のコンポスト処理場

 多量の落ち葉や選定した枝など家庭のコンポストで処理しきれない植物ゴミは、公共のコンポスト処理場を利用する。こういった植物ゴミは公共サービスの一環として無料で収集され、各所に常設の収集ステーションが設置されるほか、秋には落ち葉、年明けにはクリスマスツリーなどの特別収集を行う自治体もある。

 こういった公共のコンポスト処理場は造園業者も利用し(有料)、太い枝や伐採した樹木も持ち込まれる。以前は枝や樹木も大型機械を使って細かく粉砕してコンポスト化されていたが、最近はあえて荒く粉砕し、大き目の木片を木材バイオマス(燃料)に利用するのが盛んだ。

 収集された植物ゴミは高さ2メートルほどに積み上げられ、やはり自然発酵によりコンポスト化される。家庭用コンポストと違い発酵温度が70度以上になるため、不必要な微生物の滅菌や雑草の種の不活性化が同時に行われて都合いい。内部の状態を均一にするため、大型機械を使って植物ゴミの山を一度混ぜっ返し、計半年ほどでコンポストが出来上がる。

●安心が一番

 自治体としてはコンポストをすべて有価販売したいところだが実際はなかなか難しく、市場価格が低ければ農家に無料で引き取ってもらうことになる。希望する市民はコンポスト処理場へ行き、バケツに入れたり、小型トラックで持ち帰ってもいい。また、一部のコンポストは業者が土と混ぜて自治体のロゴを刷った袋に詰め“自治体オリジナルの土”として園芸用に販売している。

 コンポストは偉大なエコの知恵。食の安全も自ら守らなければならない時代だけに、自家製コンポストや地元自治体のコンポストは安心して使えるのが嬉しい。

静岡県袋井市でヒマワリ満開

11月3日21時33分配信 産経新聞

 静岡県袋井市で100万本のヒマワリ畑が満開をむかえている(鈴木健児撮影)。地元農家らからなる「源氏とひまわりの里づくりの会」が、麦の収穫が終わった休耕田を利用してひまわり畑をつくって今年で7年目。今年は地元の小学生らが夏休みに種をまき、少し肌寒くなった晩秋に満開になった。

 「休耕田を利用することで、雑草取りの必要もなく、冬の時期にヒマワリの茎や根が残ることで土の質も良くなる。何より多くの人に鮮やかなヒマワリを楽しんでもらえることがやりがいです」と同会代表の袴田政義さん(57)。ヒマワリ畑は、11月中旬まで楽しめる。

旧交通博物館は今…変わらず残る万世橋駅の遺構

11月3日14時1分配信 産経新聞

 交通博物館(東京都千代田区神田須田町)が万世橋駅に併設されて以来、70年の歴史に幕を閉じ約2年半が経過した。前庭にあった0系新幹線、D51蒸気機関車は撤去されたものの、神田川沿いの美しい赤レンガアーチは健在だ。鉄道に関する収蔵物の大半が1年前に開館した鉄道博物館(さいたま市大宮区)に移されたが、明治・大正期の駅構造物が残る館内や、貴重な自動車や飛行機はどうなったのだろうか。旧交通博物館を訪ねてみた。

 ■自動車、ヘリ…着々と決まる“引っ越し先”

 パノラマ模型運転場の横に蒸気機関車2両が並び、戦後だけで約3000万人の入場者を迎えてきた1階ホール。3階までの吹き抜け構造で、床面には砕石が残り、天井からほこりをかぶったヘリコプターが寂しく下がっていた。

 ホールに面した2、3階の手すりは展示物搬出のため一部が壊され、閉館前の「さよなら企画」で掲示された博物館の古い写真がそのまま残る。手狭になったことが閉館理由の1つだったが、がらんとした今ではとても広く感じられる。

 JR東日本の委託で管理する交通文化振興財団の荒木文宏事務局長は「実物を置かなければ博物館ではありません。展示物の寄贈を受けてもスペースが限られていたので頭を悩ませました」と振り返る。

 2、3階に自動車や航空機に関する展示物の一部が当時のまま残っているが、貸し出しという形で“引っ越し先”探しが進められている。愛好家から「鉄道以外は捨ててしまうのか」と不安の声も上がったというが、博物館やメーカーから展示を希望する問い合わせが殺到。大学教授らでつくる有識者会議がふさわしい場所を検討しているので、ご安心を。

 1階奥にある中央線高架下の展示コーナーに場所を移すと、時折列車の通過音が聞こえてくる。線路や架線を支える現役の鉄道施設だけに、点検がしやすいよう展示コーナーのあちこちに小さな扉が設けられ、扉を開けると赤レンガが現れる。

 直線で最長120メートルに及ぶ高架下のアーチ型空間は展示だけではなく、倉庫、配電盤の設置、鉄道模型工場、営繕など裏方用に使われていた。細い通路の左右に並ぶ教室のような部屋の1つでは、実際に子供を対象とした工作教室も行われたという。

 また、扉を閉めると完全な暗闇となる一番広い場所は、堅牢(けんろう)な構造を生かして写真の現像に使った時期もあったそうだ。日が当たらず、ひんやりとした空間にどこか懐かしい酢酸のにおいが漂っていた。

 ■駅の面影を伝える2つの階段

 中央線の神田~御茶ノ水間に位置した万世橋駅は2回の再建を経た。

 後に東京駅を手掛ける辰野金吾(1854~1919)が設計し、中央線の始発として明治45年に建てられた豪華な初代。大正12年の関東大震災で焼失した後に再建された簡素な2代目。昭和11年に博物館を併設し、近代的な建物に生まれ変わった今も残る3代目。

 建物の基礎を共通しているため平面図を比較すると形は大きく変わらないが、趣はまったく異なる。駅は戦時中の18年11月に営業を休止した。

 駅の面影を最も残すのが高架上のプラットホームにつながる明治と昭和初期に造られた2つの階段だ。

 階段の踊り場を利用して造られた休憩所は、左折する形で壁の向こう側に階段が延長している。初代駅舎の中央階段をそのまま流用し、博物館併設後はプラットホームに直結する来賓用の特別出入り口として使っていたという。

 ホーム跡につながる天井をふさぐため木材が垂直に入っているものの、壁のレンガや御影石の階段は当時のままだ。一方、現在の事務室裏にある階段は博物館併設時の3代目駅舎とともに新たに造られたもの。コンクリート製であることや、レンガの目地の処理など初代と比べて見劣りするが、「しばいせんま」と書かれた駅名標が復元され、当時の雰囲気を醸し出している。

 階段の段ごとに付けられた滑り止めは戦時中の金属供出のため外された状態。東屋のような木製の“屋根”は雰囲気を壊すが水漏れ対策だから仕方がない。旧中央階段と同様に天井はふさがれていたものの、突き当たりに小さな扉があり特別に開けてもらう。

 旧ホームからながめた周辺のビル群が現れるか、と思いきや、伸び放題の雑草が枠いっぱいに広がった。「花壇をつくり花畑だった時期もありましたが、今は花は植えていません」と少し申し訳なさそうな荒木事務局長。

 扉から顔や手を出すのは“ご法度”。運転士が見つけたら直ちに列車を止めてしまう。しかし、奥からのぞくだけでも間近を列車が通過する様子は迫力満点。同時に昔のホームはこんなに狭かったのか、という驚きもあった。

 ■跡利用はどうなる

 専門家によれば、3代目駅舎の一部として昭和11年に建てられた交通博物館も旧万世橋駅に負けず劣らず歴史的価値の高い建物という。上野公園にある西洋美術館をはじめ、手掛けた建築物群がまとめて世界遺産に登録されることが見込まれるル・コルビジェ(1887~1965)の薫陶を受けた日本人が設計した「日本近代建築の元祖」と呼べるものらしい。

 「壊さないで」と要望が寄せられているが、関係者の話では保存にはかなりの困難があるようだ。博物館から用途変更すれば今の耐震基準、消防法を満たさなければならず改築が必要。補強のため筋交いなどが入ることで面影が失われることも予想されるという。

 建物の跡利用はJR東日本で検討中だが、荒木事務局長は「万世橋の歴史や旧駅の遺構を後世に伝えていくような活用法を検討してほしい、と伝えています」。

 今でこそ大通りから東に100メートルほど入った裏手に位置するが、かつて神田川方面と反対側にあった旧駅の中央口(博物館では大物搬入口)の目前には「須田町交差点」があり、路面電車や自動車が行き交っていた。夏目漱石らの作品にも頻繁に登場する繁華街だった。

 万世橋駅が営業休止となり、最寄り駅となった秋葉原はやがて家電やパソコン、メイド喫茶に席巻されていく。その間も博物館は変わらぬ姿で歴史を伝え、御茶の水など文教地区を守る“とりで”のような存在でもあった。

 神田川を挟み万世橋から昌平橋まで約110メートルにわたって伸びる中央線高架下の赤レンガアーチ。ここだけでしか見られない光景だ。ぜひとも鉄道遺産を生かす形での跡利用を希望したい。

ボランティア:四万十川河川敷を菜の花いっぱいに 幡多農高生、草刈りに汗 /高知

10月30日18時1分配信 毎日新聞

 ◇来春
 四万十川の河川敷を菜の花でいっぱいにしようと28日、四万十市入田の河川敷で幡多農業高校の生徒たちがボランティアで草刈りに汗を流した。菜の花は来年3月中旬ごろから咲き始める。
 四万十川では毎年春になると菜の花が咲き、市観光協会などが「四万十花まつりキャンペーン」を実施し、観光客たちの目を楽しませている。草刈りは市観光振興連絡会議(藤近馨会長)が四万十川の自然のすばらしさをPRしようと昨年から実施している。
 同校の1年生140人や市職員など計180人は、四万十川キャンプ場に集合した後、菜の花の自生地として知られる河川敷の草むらに入り作業を開始。約1メートルほどに伸びたススキや雑草を相手に汗をふきながらカマを振るい、約2時間で3万平方メートルを刈り取った。 アグリサイエンス科の澳本芽生さん(16)は「来年には菜の花をいっぱい咲かせ、大勢の人が見学に来てほしいです」と話していた。【真明薫】