ヒツジ放牧で獣害対策 米原市で実証実験、気配で撃退、雑草も減少

サルやイノシシ、シカによる農作物への被害を防ごうと、米原市小泉でヒツジの放牧による獣害対策が始まった。10月まで実証実験の予定で、市農林振興課担当者は「ヒツジは雑草も食べてくれるため、一石二鳥。新たな獣害対策の切り札になれば」と期待を込める。

 同課によると、ヒツジの放牧は、その気配によって獣を寄せ付けないほか、草を食べて獣が身を潜める場所もなくす効果があるという。

 増え続ける獣害を防ごうと、ヒツジを使った獣害対策先進地の東近江市にアドバイスを受けながら事業を計画。8月上旬に県の畜産技術振興センター(日野町)から無償で借り受けた。

 杉林に隣接する約700平方メートルの田の外側を囲んだ2重の柵の中に現在、雌4頭が放されている。柵や小屋の材料費は市が負担し、ヒツジの管理は、地元自治会が担う。

 8月の暑さでヒツジは一時体調を崩したものの持ち直し、現在は食欲旺盛。田の周りの雑草をほぼ食べ尽くした。市担当者は「除草効果は抜群。イノシシの出る10月ごろに獣害への効果が分かってくるだろう」と話している。 (森若奈)

ベトナムで米作り指導 富山市の若木さん

富山市浜黒崎の農業生産法人代表、若木重昭さん(56)が今秋、世界2位のコメ輸出国ベトナムでコメの無農薬栽培の指導を始める。同国では無農薬の取り組みはほとんど行われていないといい、現地では「安心・安全で高品質の日本式栽培はブランド力強化につながる」と期待が高まっている。

 ベトナムはタイに次ぐ世界2位のコメ輸出国だが、タイ米の小売り価格が1キロ300円程度に対し、ベトナム米は同200円程度と評価は高くない。今年4月、若木さんが同1000円の高値でフランスにコメを輸出していると知った同国南部の農家から「技術を教えてほしい」と申し出を受け、実験栽培が決まった。

 計画では、同国南部テンジャンで11月、0・3ヘクタールの水田を使って試験栽培をスタートする。現地で一般的なじかまきは稲と雑草の発芽時期が重なり、除草剤を使わざるを得なくなるとして、苗を育てて田に植える。

 水田にはコイを放ち、水をかくはんして雑草を生えにくくする。それでも生える雑草は、ホームセンターで購入できる鳥飛来防止用の突起付きマットを人力で引いて取り除く。来年2月の収穫状況が良好なら、翌3月にも作付面積を一挙に25ヘクタールまで拡大する方針だ。

 大阪で不動産業などを営んでいた若木さんは、家族が体調を崩したのを機に出身地の富山市に戻り、1997年から無農薬農業を始めた。現在は、米ぬかや鶏ふんを水田にまいて酸欠状態を作り、雑草を生やさない手法で約2ヘクタールの稲作に取り組む。2009年からは仲間の農家とあわせて年間30トンのコメをフランスに輸出している。

 自然に囲まれた生活で家族の健康を取り戻した若木さんは「健康にも環境にも国境はない」と、無農薬農法の海外普及を決意。高温多湿で年3回の稲作が可能なのに栽培法や乾燥技術が不十分で国際市場での評価が低いベトナムにねらいを定め、8年前から通い詰めていた。

 7月にはコメの無農薬栽培を研究する県立中央農業高校(富山市東福沢)と合同で現地を視察し、突起付きマットを利用した除草器具の使用法も伝えた。

 現地での意思疎通には、2年前に長男と結婚したベトナム出身のド・チツ・チャンさん(25)が一役買う。「日本みたいなおいしいコメができたらいい」とチャンさん。若木さんは「日本式に作ったコメが高く売れれば、環境に優しい農業がベトナムにも定着する」と期待している。

(2010年8月23日 読売新聞)

牛放牧で耕作放棄地除草…宇佐・余谷地区の棚田

宇佐市院内町の山間地・余谷(あまりたに)地区で、肉用牛を放牧し、荒れ放題になった棚田の草を食べさせる集落放牧事業が始まった。除草作業の手間を減らし、牛の餌代を節約できるうえ、景観保全にも役立つなどメリットは多い。県は「耕作放棄地解消に有効であることを実証し、県内各地に広げたい」と話している。(柿本高志)

 余谷地区には、日本棚田百選に認定された場所があり、川には天然記念物のオオサンショウウオが生息している。農家35戸は農事組合法人「あまりたに」(小田保彦会長)を組織し、農作業の効率化を進めているが、過疎と高齢化で耕作を放棄する棚田が増加しており、同法人が草刈りなどをしてきた。

 しかし数年前から、作業が追いつかなくなり、小田会長らは県北部振興局(宇佐市)に相談。県内では雑木林や荒廃した果樹園、水田などに放牧する「おおいた型放牧」に取り組んでいることを踏まえ、農水省の水田利活用自給力向上事業を活用。地区内の牧場から繁殖用の雌牛3頭を借り、2ヘクタールの棚田に放した。

 放牧は当初、5月に始める予定だったが、宮崎県で家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」が発生した影響で、牛の移動を自粛したため、7月22日にずれ込んだ。

 小田会長は「まだ放牧期間は短いが、牛が大量の草を食べ、雑草に覆い隠されていた棚田の形が分かるようになってきた。牛が食べないカヤなどを私たちが刈ればいいので、助かる」と喜ぶ。

 畜産農家が本格的に放牧に取り組めば、今より5割ほど多い牛を飼育できる可能性もあるという。

 北部振興局生産流通部は「草がまだ柔らかい春なら、もっと効果が大きい。放棄地を整備すれば、イノシシやシカが田畑に近づくのを防止することにもつながるはず」と期待している。

(2010年8月19日 読売新聞)

遅い復旧 高齢者ため息

1年前は青々とした稲が育っていた田んぼには、雑草が生い茂り、豪雨の激流に運ばれた石や木の根などがあちこちに転がったままだ。一部の地面が水流でえぐられて約50センチもの段差ができ、農業用水路の土管はそこで折れて、真夏の日差しに乾き切っていた。

 「一面、こんな状態。何とかしようにも、どこから手を着けたらいいのか……」。佐用町の庵営農組合で農会長を務める奥林覚さん(66)は、荒れ放題の田畑を見渡して肩を落とした。

 昨夏、町を襲った豪雨は、基幹産業の農業も容赦なく痛めつけた。町農林振興課によると、農地1260ヘクタールのうち560ヘクタールが被災し、用水路など関連施設も含めた被害総額は31億7000万円に上る。同営農組合加盟の30戸が13ヘクタールを耕作する庵地区は、庵川の氾濫(はんらん)で8割の農地が泥につかり、町内最大の約5000万円の被害が出た。

 ところが、農地復興の取り組みはスローモーだ。2011年度末までに、国の農地災害復旧事業で416件、町単独か補助事業で約950件を行うことにしているが、6月末時点での進捗(しんちょく)率は国事業で4割、町の事業は3割にとどまる。川幅を広げたり堤防をかさ上げしたりする河川改良工事が優先されるため、農地復旧はさらに遅れることもある。

 この間、農家は作付けができないが、町から農家への所得補償はないという。また、庵地区では2000年に農地や用水路を改良した基盤整備事業の費用償還が16年まで残っており、土地の売却も難しい。

 組合員の多くが60~70歳代で、兼業か年金生活のかたわら農業を営み、水稲や黒大豆などを生産してきた。奥林さんは「流木や砂利の撤去は高齢の農家の手には負えない。復旧が1年遅れるだけでも農家には大きな負担。一刻も早い復旧を願っている」と話す。

 しかし、町側は「農家への所得補償は、他の自治体にもそんな制度がなく、町の財政面からも無理。国や町の事業で農地の復旧を待ってもらうしかない」と、にべもない。

 JA兵庫西は「復旧に時間がかかれば、高齢者は再開する意欲を失ってしまう恐れがある。年金があるので、すぐに生活に困ることはないだろうが、収入は2、3割ダウンするだろう」と、町の農業の衰退を懸念する。

(今岡竜弥)

(2010年8月5日 読売新聞)

草刈りボランティア中に熱中症で死亡 津の65歳

猛暑の夏。津市安濃町大塚の公園で7月23日正午ごろ、近くに住む無職倉田一美さん=当時(65)=が熱中症で倒れ、死亡した。ボランティア活動で一人、公園や寺の敷地の手入れをしていた最中の出来事だった。

 第一発見者で大塚区自治会長の倉田孝一さん(75)は、公園の水飲み場に顔を突っ伏した状態で倒れている一美さんを見つけた。「暑さで体調が悪くなり、なんとか水飲み場まで行って、そのまま意識を失ったのでは。あの日は特に暑かったから…」。23日は、1年で最も暑いとされる「大暑」で、津でも最高気温37・5度の猛暑日となった。

 公園は集落を見下ろす高台にあり、貝の化石も出土する子どもの格好の遊びの場。そばにある寺は、住民が「観音さん」と呼んで親しんでいる。夏場は雑草が生い茂るため、一美さんは「大切な場所だから」と毎日、草刈り機で手入れした。短い草は手で丁寧に抜き取った。孝一さんは「地元の人なら誰でも、一美さんのボランティアを知っていた。本当に感謝していた」。

 一美さんは、老人会でグラウンドゴルフをする時は「熱中症になるといけないから」と塩分の入ったあめを配ったり、妻の福子さん(58)に「家の中でも熱中症になることがあるぞ」と注意を促したりするなど、暑さに人一倍気を使っていた。その矢先の悲報。「まさか夫自身が倒れるなんて。周りの人や私ばかり気に掛けて、ばかみたいに責任感が強い人でした…」。福子さんは仏間の遺影を悲しそうに見つめた。 (三重総局・高嶋幸司)