被災地は今:インド洋大津波から5年/中 タイ、忘れられた犠牲者

◇冷凍コンテナに32人
 ブーン--。タイ南部パンガー県の津波犠牲者身元確認センターで、雑草に覆われた冷凍コンテナ1基から低いモーター音が響く。中には、インド洋大津波から5年たった今も身元が分からない32人の遺体が保管されている。「もう家族が訪れることもないだろうに……」。センターを1人で管理する警察官はこぼす。

 タイの大津波による犠牲者は約8200人。警察当局は各県に身元確認センターを設置し、家族とのDNA照合を実施。身元確認された遺体は遺族に引き渡すか、現地で火葬して埋葬した。

 パンガー県のセンターには約3000体が集められたが、約400体が身元不明のまま残った。その多くは近隣のミャンマーからの出稼ぎ労働者と見られている。

 「いまの収入は郷里の数十倍。家族のためにここで稼ぐしかない」。ゴム農園で働くミャンマー人男性(45)は語る。パンガー県では常時数万人のミャンマー人が働いているとされる。

 仕事は早朝から深夜に及び、タイ人は「3D」(危険、きたない、困難の英語の頭文字)と敬遠する。「我々にはミャンマー人が必要。彼らは人身売買に近い形でここへ来るが、雇用主が申請すれば当局は労働許可証を出す」。ゴム園の経営者はそう説明する。

 ただ、津波犠牲者の遺体がミャンマー人と推定されても母国の家族と連絡が取れないケースが多く、地元役場幹部は「今となっては最終的な身元確認は不可能だ」と話す。

 センターは昨年までに未確認の遺体のほとんどを火葬し、事務所も閉鎖した。それでも1基のコンテナだけは稼働を続けている。関係者はその理由について、「警察は各国のセンターへの寄付金を、別の用途に使ってしまった。帳簿の帳尻が合わないから完全に撤収できない」と漏らす。

 アンダマン海に面したパンガー県は、海をはさんだプーケットと並ぶ国際的なリゾート地だ。津波被害を受けた大部分のホテルが営業を再開し、今はクリスマス休暇の客でにぎわう。「地域住民は何らかの形で観光産業にかかわっている。観光の回復が地域復興に直結する」。地元業者は期待を込める。

 しかし、タイの内政混乱や新型インフルエンザ、世界経済危機の影響を受け、観光客の回復は順調とはいかない。「センターをめぐる問題は観光客呼び込みに悪影響を与えかねない」。役場幹部は顔を曇らせた。【パンガー県で西尾英之】

石垣・堀の大掃除作戦

2009年もあとわずか。播磨地域は18日、姫路城の石垣や内堀の雑草などを取り除く「姫路城クリーン作戦」や、姫路セントラルパーク(姫路市豊富町神谷)の「干支(えと)の引き継ぎ式」が行われるなど、迎春準備が本格化した。

 姫路城では、陸上自衛隊姫路駐屯地(姫路市峰南町)の隊員約500人が、山岳や渓谷の急斜面を想定した訓練を兼ねて、普段は危険で出来ない石垣などの雑草を取り除く大掃除を行った。

 この冬一番の冷え込みとなり、最低気温は氷点下1・6度を記録。午前6時20分頃、トラック70台、レッカー車3台、ボート20隻が姫路城に集結し、8時に作業が始まった。

 本丸の石垣「扇の勾配(こうばい)」(高さ約15メートル)に、腰に命綱を着けた隊員が、カマやナタで雑草を刈り取ったり、内堀の水面に浮かんだ枯れ枝などを網で集めたりした。作業は約8時間30分後に終了し、約20トンの枯れ木や雑草を回収した。

(2009年12月19日 読売新聞)

月給8万円から“出戻り” 横浜右腕「雑草魂で」

元ロッテの杉原が、同じくロッテから移籍の早川と横浜市内の球団事務所で入団会見に臨んだ。

 杉原は島根・開星から03年ドラフト3巡目でロッテ入りも右肩痛に悩まされ、06年オフに解雇。大阪府内のドコモショップでアルバイトしながら、NOMOベースボールクラブで夜に練習するハードな生活を3年間続けた。「月給8万円だったのでギリギリの生活。もう1度プロに戻れてうれしい」と笑顔を浮かべた。

 元プロの“出戻り”は史上3人目だが、ブルペンの投球を見て獲得を決めた堀井チーフスカウトは「球種が豊富で制球も良い。手足が長くて西武の岸みたいな感じだね」と期待は大きい。すでに入寮し、横須賀で練習している右腕は「自分では先発タイプだと思う。雑草魂で頑張りたい」と念願の再スタートに気合十分だった。

コハクチョウ 越冬中 金沢の水田 親子で餌探し

河北潟近くの金沢市才田町の水田で十二日、コハクチョウの群れが餌を食べる様子が見られた。

 コハクチョウはシベリアから十月半ばごろに飛来。この日は羽が灰色がかった幼鳥数羽を含む約二十羽が、水田で稲の収穫後に生える二番穂や雑草スズメノカタビラなどを食べていた。

 時折大きく羽を広げるなどのんびりとした様子で過ごした群れは、薄暗くなると、ねぐらのある西の方へ向かって飛び立った。

 十二月下旬ごろには、金沢市やかほく市、津幡町にかけての水田地帯で、二百羽ほどが観察できる。シベリアに戻るのは来年の三月下旬ごろという。

  (山野舞子)

苦労した野菜うまい! 日向の農業小学校

野菜作りを通して、農業や食の大切さを学んでもらおうと、地元有志が設立した日向市の財光寺農業小学校で12日、今年最後の収穫祭があった。4月の開校から苗植えや肥料やり、雑草取りに汗を流してきた子どもたち。自分たちが育てた大根や白菜、ネギなどを掘り出すと笑顔を見せていた=写真。

 元小学校長の二見順雄さんが、地域住民の協力を得て設けた農業小学校。財光寺小と財光寺南小の5、6年生計20人が1人33平方メートルの個人農園と990平方メートルの集団農場で、地元農家の指導も受けながら野菜を育ててきた。月2回の集団活動のほかに、自発的に作業に来ていた児童も少なくなかったという。

 この日、「土に触れ、汗を流し、すてきな体験をした。自然の偉大さ、また怖さも知りました」と書かれた修了証も、二見校長から児童に手渡された。財光寺南小5年の石川海里君は「夏は草がジャングルみたいで雑草取りが大変だったが、自分で作った野菜はうまい」。

 農業小学校という試みは県内初めてで、来年は「入学生」を増やし、再び4月に開校する予定だ。

合鴨料理:食べて無農薬促進 農法の収益性改善、学生が商品化模索--福岡・近畿大学

近畿大学産業理工学部(福岡県飯塚市)の学生らが、アイガモ農法の先駆者・古野隆雄さん(59)=同県桂川町=の協力を得て、合鴨(あいがも)料理の商品化に取り組んでいる。市内の商店街で試験販売を重ね、やがてはレトルト加工した料理を全国に売り出す計画だ。学生や古野さんは「おいしい合鴨料理を通して、アイガモ農法が広まるきっかけにしたい」と話している。

 飯塚市の本町商店街で4、5日、合鴨料理が市民らに試験販売された。太ネギと合鴨肉を甘辛く味付けた丼(600円)と、合鴨飯と雑煮のセット(800円)。レシピは古野さんの妻、久美子さん(52)の直伝だ。商店街の前田精一会長は「独特の風味があるが、食欲がそそられておいしかった」と、丼をあっという間に平らげた。

 合鴨料理に取り組むのは、経営ビジネス学科の日高健准教授が指導する3年生のグループ。地元ならではの食材を発掘し広めるのが目的だ。リーダーの鬼塚徹治さん(21)は「合鴨は米作りに役立ち、食べてもおいしい。多くの人に知ってほしい」と話す。

 雑草や害虫を合鴨が食べ、無農薬で米と合鴨肉を同時生産するアイガモ農法。農法のことは知っていても、合鴨肉のおいしさを知る人は少ない。合鴨肉が売れずに困る農家もいるという。

 古野さんによると、合鴨肉は牛肉や豚肉よりさっぱりしていて、鶏より濃厚な味。試験販売では食べた人から「コクがあっておいしい」「ネギの量を増やして」などの声が寄せられており、学生らはこれらの意見を参考に、レシピを改良する考えだ。

 日高准教授は「合鴨肉の商品価値が高まれば、農家の収入も増え、合鴨農法に取り組む人がもっと増えるはずだ」と指摘。古野さんも「味という切り口から、アイガモ農法の可能性がさらに広がる」と期待する。

 試験販売は18、19両日にも飯塚市の商店街で予定されている。【伊藤奈々恵】

0.7度・・・河原に霜輝く 四万十市

県内は8日、各地で最低気温が氷点下を記録するなど7日に続いて冷え込んだ。最低気温が0・7度(平年3・5度)となった四万十市中村では、市街地周辺でも広い範囲で霜が降り、四万十川河川敷では雑草や芝生が朝の光に白く輝いた。

 高知地方気象台によると、最低気温は梼原町が氷点下2・7度(平年0・8度)、いの町本川が同2・2度(0度)で今季一番の冷え込み。四万十町窪川は同1・8度(1・1度)、高知市は3・3度(4・1度)だった。

(2009年12月9日 読売新聞)

みまもり隊:火災相次ぐ平城宮跡で始動 せんとくんも出陣式に--奈良 /奈良

奈良市の平城宮跡で雑草火災が相次いでいることを受け、県警やNPO法人「平城宮跡サポートネットワーク」など10団体がつくった「平城宮跡みまもり隊」が、宮跡内で初めてパトロール活動を展開した。

 出陣式には、県警のマスコット・ナポくんや平城遷都1300年祭の公式キャラクター「せんとくん」も参加。約80人の参加者が3班に分かれ、大極殿の周囲など3コースを約30分かけて見て回った。

 同ネットワークの伊部和徳理事長は「バーベキューや花火などで火を使った時に、不始末で火災が起きている可能性もあるので、パトロール活動でしっかり注意するよう呼びかけていきたい」と話している。【大森治幸】

庭に「ウッドチップ」をまきましょう

 暑い夏の間はなかなかできなかった庭仕事やら大がかりな家事。やっと涼しくなってから……と思っていたら、もう師走の大掃除の季節が、もうそこまで。そこで、今回からはDIYや日曜大工から、ウチの中の掃除まで。「庭仕事、ウチ仕事」と題して、世界各地からお届けします。(海外書き人クラブお世話係・柳沢有紀夫)

 こんなことを言ったら、東京の小さなマンションに住んでいた十年前の自分に殴られること必至だが、広い庭のある家に住むのも善し悪しである。

 いや、オーストラリアに暮らし始めてすぐのころは、「やっぱり国土の広いオーストラアに住むんだから、それなりの広さの庭は欲しいよねえ」と思い描き、実際に庭どころかプール付きの一戸建てを自分と家族に奮発した。土地の広さ600平方メートル超で、少し郊外に行くと敷地面積数千平方メートルの家がゴロゴロ転がっているブリスベンでは特別広いほうではないが、キャッチボールやサッカーのシュート練習くらいなら充分にできる。子育て世代の私にとってはまさに夢のウチだった。

 ところが、ブリスベンは亜熱帯だった。東京の温帯とは植物の生育するスピードが段違い。放っておくと、「広大な土地に立つ、庭付き一戸建て」が「大ジャングルの小さな家」になりかねないので、木々の剪定から芝刈りまでやることがあれこれある。

 その一つが「ウッドチップ撒き」だ。果樹園や花壇は何もしないでそのままにしていると、雑草がすくすくと伸びて、登山技術で言うところの「藪こぎ」をしないと奥に進めなくなる。かと言って、花壇ならまだしも、せっかく有機栽培している果樹園に除草剤をまくのも気が引ける。そこで、ウッドチップの出番だ。

 ウッドチップはその名の通り、木材を小片に削ったもの。これを厚さ10センチくらい撒くと、雑草が生えにくくなるし、生えても抜きやすくなるのだ。

 ということで数年前に庭のあちこちに撒いたのだが、何しろ自然の素材なので、年月とともに風化・分解され、土に還ってしまう。そこで、ふたたび撒くことにしたのだが……。

 家の立っている部分と芝生の上にはまかないので、必要な場所はざっと見積もって60平方メートル。以前まいたものが多少残っているので、厚さ8センチ分を新たに追加することにして計算したら、約5立方メートル必要になる。もちろん自家用車で運べる量ではないから、造園の素材を売っている店からトラックで配達してもらう。そして子ども三人も含めて、家族総出で庭にまく。……といっても、なんたって5立方メートルだ。バケツだけでは埒が明かないので、手押しの一輪車を購入した。

 木の種類はいろいろあるが、わが家ではシロアリが嫌うというヒノキのモノを使っている。

「モモの花見の名所に」自治会が開墾、整地、植栽/姶良町

姶良町平松のサボーランドパーク姶良で11月28日、触田自治会の住民ら約40人がハナモモの苗150本を植栽した。公園西側の県有地4300平方メートルを同自治会が借り受け、地元の特定非営利活動法人(NPO法人)山・里・まち整備室(窪田健三理事長)とともに9月から総出で開墾、整地していた。
 住民らは、かごしまみどりの基金の助成で購入したハナモモ120本と個人から譲り受けた30本を、道路沿いの4カ所に分け植栽。周辺には種から育てた菜の花やルーピンも順調に育っている。
 赤や白、ピンクなど5色の花が、2年後には見ごろになる。触田上の栄一也自治会長(67)は「モモの花見ができる場所は県内でも少ない。住民の憩いの場として名所になってほしい」と話す。
 同公園は、1993年8月1日の集中豪雨で崩壊した姶良ニュータウン西側のがけを、県が公園として復旧した。東半分は同町が管理し整備されているが、同自治会側の西半分は、開園から13年以上が経過し、雑草が生い茂り荒れていた。