◇生産効率優先で在来品種が衰退
生物多様性を守る対象は野生生物だけではない。農作物や魚介類、微生物など多岐にわたる。このうち、農業分野では生産効率の高い農作物が残り、それ以外の品種は消えゆく運命にありがちだ。遺伝子の多様性損失に当たる種の画一化によって、災害や感染症の発生時に食料不足に陥りかねない。だが、種苗法やカルタヘナ法は、農作物の多様性を守るには不十分だ。【関東晋慈】
今年2月のチリ大地震は、農作物の多様性が失われていることを気づかせる出来事となった。日本人が食べる野菜の種子の9割は適した気候などを求めて海外で育てられている。地震の影響でネギやニンジンなどの輸送が滞った。トキタ種苗(さいたま市)の本沢安治専務は「5月近くまで輸送のめどが立たなかった。結果的に影響は小さくてすんだが、農家の人たちはずいぶん心配した」と話す。
戦後、味や形、収量が安定するよう種苗会社が開発した1代限りの交配種(F1)が普及。新品種を登録し、開発者の知的財産権を保護する種苗法は、98年の改正に伴い種子開発への企業の参入を奨励し、F1は市場を席巻した。各地で長く栽培、採種されてきた在来品種は減少した。
また、73年に開発された遺伝子組み換え技術も在来品種の保全に危機感を与えた。遺伝子組み換え生物の取り扱いを規定したカルタへナ法は、遺伝子組み換え生物が雑草など野生生物と交雑するのを防ぐことを目的に掲げているものの、農作物への影響までは考慮していない。
各農家に自家採種の習慣が失われると、採種技術も消滅する。各国に「ジーンバンク」と呼ばれる種子の保存施設が整備。日本にも独立行政法人・農業生物資源研究所(茨城県つくば市)が運営するジーンバンクがある。しかし、研究用は無償提供だが、農家には有償で使い勝手が悪い。
世界銀行などが出資する国際機関「国際生物多様性センター」(本部ローマ)のクウェシ・アタ・クラ次長は「本来ならば、農作物の種子の多様性は、各農家がそれぞれの地域に適した品種を育て続けることで維持される。しかし、現在の各国の政策は企業が開発した技術を保護し、農家の伝統的な作業や多様性保全への配慮が欠けている」と指摘する。
農林水産省は「法律で在来種の保全は盛り込まれていないが、農林水産省生物多様性戦略(07年策定)に基づいて、種子の保存に努めている」と話す。
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約5000品種の野菜や豆類などの種子を保管する財団法人・広島県農林振興センター農業ジーンバンク(東広島市)。一般にも種子を無料で貸し出す全国唯一の公的研究機関で、多様な品種が消滅することに危機感を募らせて、広島県が89年に設立した。技術参与の船越建明さん(73)は「ジーンバンクは縁の下の力持ちで、何か事が起きれば威力を発揮する。しかし、保管に意味があるのではなく、活用することが前提だ。遺伝資源としての種子は骨董品(こっとう )ではない」と話す。
安芸高田市の農家、森末盛男さん(69)は2年前、農業ジーンバンクから県特産の「青大(あおだい)キュウリ」の種子を借りて栽培を始めた。過疎化に危機を感じ、「何か活性化策はないか」と考えていたところ、船越さんから青大キュウリの栽培を提案された。キュウリは重さが約1キロにもなり、特有の青臭さがなく、ほのかな甘みがある。森末さんは「在来種は独特の栽培、採種技術が必要だが、それを楽しんでいる。あと2年やれば利益も出て、他の農家も参加してくれるようになるはず」と実感する。
西川芳昭・名古屋大教授(開発行政学)は「地元で収集・保存している種子を農家に無償提供し、その地域開発の資源として活用しているのは、国際的にも参考になる取り組みだ。海外から品質がいい種子を取り入れることと多様性を守ることはバランスが難しいが、農家が日ごろから行ってきた取り組みを支援する法制度が必要だ」と提言する。
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■ことば
◇種苗法
78年制定。食料の安定供給や豊かな生活を得ることを目的に、農作物や花といった植物の新品種を登録し、開発者の知的財産権を保護することを規定している。この権利を侵害すると、10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金が科される。98年に国際種苗法条約改正を受けて改正され、育成者の権利を明確にした。
◇カルタヘナ法
生物多様性条約に基づき、遺伝子組み換え作物などを規制する国際協定「カルタヘナ議定書」の国内法。03年制定。違反した場合、最も重いもので、1年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金が科される。