中国 塔が刻む交流史

高さ約6メートル。丸みを帯びた塔の先端部は雑草で覆われ、歳月の長さを感じさせた。少数民族ペー族が多く暮らす中国雲南省大理に、約600年前に他界した4人の日本人仏僧の供養塔「日本四僧塔」がある。日中関係の悪化により多くの民間交流が延期されるなど影響が及ぶ中、今夏に訪れたこの塔を思い出した。

 1380年、明の洪武帝(朱元璋)は重臣が反乱を企てたとして数百人を処刑した。4人の日本人留学僧にも累が及び、大理に流刑された。死後、地元の人々が供養塔を建てた。塔は日中戦争を経ても壊されることはなかった。そのことには深い感慨を覚える。

 塔は今、ドラマ撮影所内にある。かつて畑だったところに撮影所が建設されたが、塔はそのまま残されたためだ。05年には中国映画「単騎、千里を走る。」の撮影で雲南を訪れていた俳優の高倉健さんと中国人の張芸謀監督が塔の話に感動して修繕費を寄付した。

 塔を介して日中仏教界の交流が盛んになり、日本人の見学者も増えたという。ひっそりとたたずむ塔が刻む歴史もまた長い民間交流史の一ページである。【鈴木玲子】

「ひたむき」新チーム、横浜瀬谷ボーイズが雑草魂でV…八王子市長旗争奪大会

◆ゼット杯第4回日本少年野球八王子市長旗争奪大会 ▽中学生の部・準決勝 ボーイズ志村球友会4―7横浜瀬谷ボーイズ ▽決勝 八王子ボーイズ2―9横浜瀬谷ボーイズ=6回コールド=(11、12日・府中関東村グラウンドほか) 新チームとなって初の大会となる、ゼット杯第4回日本少年野球八王子市長旗争奪大会が行われた。中学生の部では、投打に充実を見せた横浜瀬谷ボーイズ(神奈川)が決勝でもコールド勝ちし、初優勝。地元の八王子ボーイズ(東京都西)が準優勝だった。小学生の部では、今夏の全国大会で優勝した世田谷タイガースボーイズ(東京都西)が、圧倒的な力を見せ優勝。公式戦の連勝を27に伸ばした。

 横浜瀬谷ボーイズが試合巧者ぶりを発揮し、大会初優勝を飾った。

 2回戦の本庄ニューヤンキースボーイズ(埼玉)戦は、わずか1安打ながら、最後は相手ミスに乗じて2―1で競り勝った。「完全に本庄さんの方が力が上」と杉山千春監督(50)も認める苦しい戦いを勝ち抜き、チームは勢いに乗った。

 準々決勝は、大逆転勝利で勝ち上がってきた強敵、府中イーグルスボーイズ(東京都西)を、敵地のホームグラウンドで6―0で一蹴した。準決勝は2回に打線がつながり、打者一巡の猛攻で試合を決めた。先頭の4番・宮杉一輝の特大の左越え本塁打が猛爆の合図だった。なおも井上佑助の適時打、松本裕樹の満塁走者一掃の適時三塁打など攻撃の手を緩めず、6点を奪うビッグイニングを完成した。「旧チームの方が素材がそろっていた。でも、このメンバーは、言われたことを必死にやろうという姿勢がいい」と指揮官。

決勝も序盤から打線が活発だった。1回に渡部宏の適時打で先制。2回は松本、宮杉の長短連続適時打で4点を加点。3回にも井上の適時打などで突き放し、6回には相手の守りのミスを突き、コールド勝ちした。1番の萩生田恭太が3得点、クリーンアップの松本、宮杉、渡部で7打点と理想的な攻撃パターンで圧倒した。

 2試合で7打点、連投で7イニング自責点0と、投打で優勝に大きく貢献した松本は「いいところ(満塁)で、うまく打てた。でも、これからは、信頼される投手としても頑張りたい」と、さらなる飛躍へ意欲を見せた。

 「ヘボチームがよく頑張った。でも、課題もたくさんいただいた。この優勝を弾みにして、このあとに続く大会でも、上を目指したい」と指揮官は、実りの秋の成果に満足げだった。

(2010年9月16日13時52分 スポーツ報知)

清掃奉仕:ゴミ拾いや草刈り 45人が参加--県理容組合浜田支部 /島根

浜田市野原町で13日、県理容生活衛生同業組合浜田支部がボランティアの清掃活動を行い、夏の間に伸びた雑草を刈ってさっぱりとさせた。

 参加したのは組合員と家族合わせて約45人。ほうきや草刈り機、ごみ袋を持って野外ステージの前に午前6時に集合。市総合福祉センターや世界こども美術館などの周辺で約2時間、ごみを拾ったり、草を引いたりした。支部長の東清司さんは「この辺りで空き缶などが目についたのでここの清掃をするようになった。やってよかったという達成感がある」と話していた。

 9月の第2月曜日は組合の全国組織の全国理容連合会が「理容ボランティアの日」としている。【大西康裕】

ヒツジ放牧で獣害対策 米原市で実証実験、気配で撃退、雑草も減少

サルやイノシシ、シカによる農作物への被害を防ごうと、米原市小泉でヒツジの放牧による獣害対策が始まった。10月まで実証実験の予定で、市農林振興課担当者は「ヒツジは雑草も食べてくれるため、一石二鳥。新たな獣害対策の切り札になれば」と期待を込める。

 同課によると、ヒツジの放牧は、その気配によって獣を寄せ付けないほか、草を食べて獣が身を潜める場所もなくす効果があるという。

 増え続ける獣害を防ごうと、ヒツジを使った獣害対策先進地の東近江市にアドバイスを受けながら事業を計画。8月上旬に県の畜産技術振興センター(日野町)から無償で借り受けた。

 杉林に隣接する約700平方メートルの田の外側を囲んだ2重の柵の中に現在、雌4頭が放されている。柵や小屋の材料費は市が負担し、ヒツジの管理は、地元自治会が担う。

 8月の暑さでヒツジは一時体調を崩したものの持ち直し、現在は食欲旺盛。田の周りの雑草をほぼ食べ尽くした。市担当者は「除草効果は抜群。イノシシの出る10月ごろに獣害への効果が分かってくるだろう」と話している。 (森若奈)

ベトナムで米作り指導 富山市の若木さん

富山市浜黒崎の農業生産法人代表、若木重昭さん(56)が今秋、世界2位のコメ輸出国ベトナムでコメの無農薬栽培の指導を始める。同国では無農薬の取り組みはほとんど行われていないといい、現地では「安心・安全で高品質の日本式栽培はブランド力強化につながる」と期待が高まっている。

 ベトナムはタイに次ぐ世界2位のコメ輸出国だが、タイ米の小売り価格が1キロ300円程度に対し、ベトナム米は同200円程度と評価は高くない。今年4月、若木さんが同1000円の高値でフランスにコメを輸出していると知った同国南部の農家から「技術を教えてほしい」と申し出を受け、実験栽培が決まった。

 計画では、同国南部テンジャンで11月、0・3ヘクタールの水田を使って試験栽培をスタートする。現地で一般的なじかまきは稲と雑草の発芽時期が重なり、除草剤を使わざるを得なくなるとして、苗を育てて田に植える。

 水田にはコイを放ち、水をかくはんして雑草を生えにくくする。それでも生える雑草は、ホームセンターで購入できる鳥飛来防止用の突起付きマットを人力で引いて取り除く。来年2月の収穫状況が良好なら、翌3月にも作付面積を一挙に25ヘクタールまで拡大する方針だ。

 大阪で不動産業などを営んでいた若木さんは、家族が体調を崩したのを機に出身地の富山市に戻り、1997年から無農薬農業を始めた。現在は、米ぬかや鶏ふんを水田にまいて酸欠状態を作り、雑草を生やさない手法で約2ヘクタールの稲作に取り組む。2009年からは仲間の農家とあわせて年間30トンのコメをフランスに輸出している。

 自然に囲まれた生活で家族の健康を取り戻した若木さんは「健康にも環境にも国境はない」と、無農薬農法の海外普及を決意。高温多湿で年3回の稲作が可能なのに栽培法や乾燥技術が不十分で国際市場での評価が低いベトナムにねらいを定め、8年前から通い詰めていた。

 7月にはコメの無農薬栽培を研究する県立中央農業高校(富山市東福沢)と合同で現地を視察し、突起付きマットを利用した除草器具の使用法も伝えた。

 現地での意思疎通には、2年前に長男と結婚したベトナム出身のド・チツ・チャンさん(25)が一役買う。「日本みたいなおいしいコメができたらいい」とチャンさん。若木さんは「日本式に作ったコメが高く売れれば、環境に優しい農業がベトナムにも定着する」と期待している。

(2010年8月23日 読売新聞)

牛放牧で耕作放棄地除草…宇佐・余谷地区の棚田

宇佐市院内町の山間地・余谷(あまりたに)地区で、肉用牛を放牧し、荒れ放題になった棚田の草を食べさせる集落放牧事業が始まった。除草作業の手間を減らし、牛の餌代を節約できるうえ、景観保全にも役立つなどメリットは多い。県は「耕作放棄地解消に有効であることを実証し、県内各地に広げたい」と話している。(柿本高志)

 余谷地区には、日本棚田百選に認定された場所があり、川には天然記念物のオオサンショウウオが生息している。農家35戸は農事組合法人「あまりたに」(小田保彦会長)を組織し、農作業の効率化を進めているが、過疎と高齢化で耕作を放棄する棚田が増加しており、同法人が草刈りなどをしてきた。

 しかし数年前から、作業が追いつかなくなり、小田会長らは県北部振興局(宇佐市)に相談。県内では雑木林や荒廃した果樹園、水田などに放牧する「おおいた型放牧」に取り組んでいることを踏まえ、農水省の水田利活用自給力向上事業を活用。地区内の牧場から繁殖用の雌牛3頭を借り、2ヘクタールの棚田に放した。

 放牧は当初、5月に始める予定だったが、宮崎県で家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」が発生した影響で、牛の移動を自粛したため、7月22日にずれ込んだ。

 小田会長は「まだ放牧期間は短いが、牛が大量の草を食べ、雑草に覆い隠されていた棚田の形が分かるようになってきた。牛が食べないカヤなどを私たちが刈ればいいので、助かる」と喜ぶ。

 畜産農家が本格的に放牧に取り組めば、今より5割ほど多い牛を飼育できる可能性もあるという。

 北部振興局生産流通部は「草がまだ柔らかい春なら、もっと効果が大きい。放棄地を整備すれば、イノシシやシカが田畑に近づくのを防止することにもつながるはず」と期待している。

(2010年8月19日 読売新聞)

遅い復旧 高齢者ため息

1年前は青々とした稲が育っていた田んぼには、雑草が生い茂り、豪雨の激流に運ばれた石や木の根などがあちこちに転がったままだ。一部の地面が水流でえぐられて約50センチもの段差ができ、農業用水路の土管はそこで折れて、真夏の日差しに乾き切っていた。

 「一面、こんな状態。何とかしようにも、どこから手を着けたらいいのか……」。佐用町の庵営農組合で農会長を務める奥林覚さん(66)は、荒れ放題の田畑を見渡して肩を落とした。

 昨夏、町を襲った豪雨は、基幹産業の農業も容赦なく痛めつけた。町農林振興課によると、農地1260ヘクタールのうち560ヘクタールが被災し、用水路など関連施設も含めた被害総額は31億7000万円に上る。同営農組合加盟の30戸が13ヘクタールを耕作する庵地区は、庵川の氾濫(はんらん)で8割の農地が泥につかり、町内最大の約5000万円の被害が出た。

 ところが、農地復興の取り組みはスローモーだ。2011年度末までに、国の農地災害復旧事業で416件、町単独か補助事業で約950件を行うことにしているが、6月末時点での進捗(しんちょく)率は国事業で4割、町の事業は3割にとどまる。川幅を広げたり堤防をかさ上げしたりする河川改良工事が優先されるため、農地復旧はさらに遅れることもある。

 この間、農家は作付けができないが、町から農家への所得補償はないという。また、庵地区では2000年に農地や用水路を改良した基盤整備事業の費用償還が16年まで残っており、土地の売却も難しい。

 組合員の多くが60~70歳代で、兼業か年金生活のかたわら農業を営み、水稲や黒大豆などを生産してきた。奥林さんは「流木や砂利の撤去は高齢の農家の手には負えない。復旧が1年遅れるだけでも農家には大きな負担。一刻も早い復旧を願っている」と話す。

 しかし、町側は「農家への所得補償は、他の自治体にもそんな制度がなく、町の財政面からも無理。国や町の事業で農地の復旧を待ってもらうしかない」と、にべもない。

 JA兵庫西は「復旧に時間がかかれば、高齢者は再開する意欲を失ってしまう恐れがある。年金があるので、すぐに生活に困ることはないだろうが、収入は2、3割ダウンするだろう」と、町の農業の衰退を懸念する。

(今岡竜弥)

(2010年8月5日 読売新聞)

草刈りボランティア中に熱中症で死亡 津の65歳

猛暑の夏。津市安濃町大塚の公園で7月23日正午ごろ、近くに住む無職倉田一美さん=当時(65)=が熱中症で倒れ、死亡した。ボランティア活動で一人、公園や寺の敷地の手入れをしていた最中の出来事だった。

 第一発見者で大塚区自治会長の倉田孝一さん(75)は、公園の水飲み場に顔を突っ伏した状態で倒れている一美さんを見つけた。「暑さで体調が悪くなり、なんとか水飲み場まで行って、そのまま意識を失ったのでは。あの日は特に暑かったから…」。23日は、1年で最も暑いとされる「大暑」で、津でも最高気温37・5度の猛暑日となった。

 公園は集落を見下ろす高台にあり、貝の化石も出土する子どもの格好の遊びの場。そばにある寺は、住民が「観音さん」と呼んで親しんでいる。夏場は雑草が生い茂るため、一美さんは「大切な場所だから」と毎日、草刈り機で手入れした。短い草は手で丁寧に抜き取った。孝一さんは「地元の人なら誰でも、一美さんのボランティアを知っていた。本当に感謝していた」。

 一美さんは、老人会でグラウンドゴルフをする時は「熱中症になるといけないから」と塩分の入ったあめを配ったり、妻の福子さん(58)に「家の中でも熱中症になることがあるぞ」と注意を促したりするなど、暑さに人一倍気を使っていた。その矢先の悲報。「まさか夫自身が倒れるなんて。周りの人や私ばかり気に掛けて、ばかみたいに責任感が強い人でした…」。福子さんは仏間の遺影を悲しそうに見つめた。 (三重総局・高嶋幸司)

水仙:あふれるまちへ 球根1万6000個掘り出し--南あわじ市 /兵庫

◇秋に学校などに配布
 南あわじ市を市花「日本水仙」があふれるまちにしようと、同市は市制5周年記念で水仙普及事業に取り組むことになり、市と同市花づくり協会(谷口保会長)は28日、県道阿万バイパス沿いの歩道に植えられている水仙の球根約1万6000個を掘り出した。10月中旬に定植週間を設け、学校や公民館、観光施設に配布して植えてもらう。

 同市北阿万伊賀野の県道阿万バイパスの道路両側の歩道の花壇には、約10年前に延長200メートルにわたって地元住民が水仙の球根を植えている。その後、球根が増えて花が咲きにくくなっており、市花づくり協会の協力を得て余分な球根を掘り出して公共施設や観光施設で育ててもらうことにした。

 この日は、市花づくり協会の役員と市職員約20人が作業にあたった。軽トラック5台分の雑草を取り除き、スコップで約2万個の球根を掘り出した。うち約4000個は花壇に植え直した。残りの約1万6000個を公共施設や観光施設に配布し、花壇やプランターに栽培してもらう。

 谷口会長は「今年は公共施設や観光施設に球根を配布する。他の道路にも球根が植えられているので、来年は市民にも配布して家庭で植えてもらえるよう住民運動として広め、水仙のまちとして売り込んでいきたい」と話している。【登口修】

湿地よみがえれ 那須烏山

那須烏山市月次の同市職員、小峯洋一さん(44)が中心となった「南那須自然観察会」が、2005年から里山の湿地再生活動に取り組んでいる。人の手が加わらなくなると消滅してしまう湿地を、草刈りなどの活動で復活させ、湿地特有の植物や爬虫(はちゅう)類などを呼び戻す。湿地は多様な動植物のすみかとなり、子どもたちの環境学習の場にもなる。小峯さんは「自然の大切さを感じた原点を、未来の子どもたちのためにも守りたい」と話す。

 小峯さんは埼玉県所沢市出身。宇都宮大卒業後の1991年に旧南那須町(現・那須烏山市)職員になり、地域住民らで「南那須自然観察会」を設立して自然保護活動を続けてきた。

 70年代、所沢の里山は映画「となりのトトロ」のモデルにもなった自然豊かな場所で、湿地が広がり、毎日昆虫図鑑を持ち歩き自然に親しんだ。ところが、土地開発の影響などで次第に消滅。「未来に残したい」との願いが原動力となった。

 湿地保全の基準を定めているラムサール条約によると、湿地とは自然、人工の沼沢地、泥炭地で、低潮時の水深が6メートルを超えない海域も含み、周辺に水草や野草など様々な植物帯を持つ。しかし、河川の氾濫(はんらん)が減少した現代では、雑草の除去など手入れをしないと乾燥して自然消滅してしまう。日本有数の湿地、群馬県の尾瀬ヶ原でも近年水位が低下、土壌流出が深刻という。

 小峯さんが取り組むのは人工、天然を問わず水分の確保ができ、多様な生物が生育していた場所。05年7月、同市八ヶ代の山に囲まれた元田んぼの土地約2900平方メートルを200万円で購入した。2年間に月1、2回、一面に背丈以上に伸びた藪を引き抜くなどして除去。その後3年間で地面からしみ出す水分と、池から流れる水を土のうなどで食い止めた。最初はヨシやクズなどが目立った草地だったが、07年頃からヤノネグサやイモリなど、湿地帯特有の動植物が見られるようになった。環境を“操作”する難しさに向き合いながら、活動は実を結びつつある。

 県野鳥の会の遠藤孝一副支部長は、小峯さんの環境再生活動を「今後各地で行われる類似の活動のよい見本になる」と評価する。

 活動には今後、子どもたちも加えていく考え。「自分が出来るのはせいぜいあと20、30年。その後も、意志を引き継いでもらいたい」と、県内全域で活動が広がることを願っている。

(2010年7月27日 読売新聞)