◎地域で息子の成長見守られ 自然と向き合う生活
中央アルプスを望む長野県伊那市で有機野菜などを生産する「七草農場」を2005年から始めた小森健次さん(33)、夏花さん(33)夫妻。農作業をする2人の傍らには、長男一心君(3)がいる。地域全体で子どもの成長を見守ってくれていると感じながら、毎日の生活を楽しんでいる。
▽「百姓」になりたい
健次さんは専門学校を卒業後、いろいろな物を見たい、人に会いたいと北は北海道の知床、南は沖縄の離島でアルバイトをしながら生活。米国のアラスカに行ったこともあった。米国で自然について学ぶワークキャンプで夏花さんと知り合い、夏花さんの知人を介して、家族で自給自足の暮らしをしている「あーす農場」(兵庫県)を03年に訪れたのがきっかけで、農業をしようと決めた。
「何でも自分でやっているのを見て、面白そうでした。農業だけではない、自分も生活に必要な技術を身につけて、百の仕事ができる『百姓』になりたいと思いました」
お互いの目指す姿、価値観が重なり夏花さんと結婚後、04年に埼玉県の農家に約1年間住み込み、農業研修を受けた。2人で各地を訪ね歩き、就農する拠点を探し始め、研修先の先輩の紹介を受け長野県伊那市にたどり着いた。
「いろいろな物件を見ましたが、すぐに住めそうな家はなかなかなかった。日照時間や害虫が少ないなど農業を始めやすい環境も大事ですし。なかなか見つからず焦り始めていた時に、ようやく理想の場所が見つかりました」
七草がゆを食べて無病息災を願うように、作った野菜を食べてくれた人が元気で幸せになったらいいな、という気持ちをこめて名付けた「七草農場」は、耕作放棄地を再び畑にするために、石拾いや草取りから始まった。田んぼ5アール、畑45アールだったのが、現在はそれぞれ倍程度に面積を広げ、年間50種類の野菜や米を、個人契約の約80人とレストランや自然食品店などに販売している。
「最初はバケツがいっぱいになるまで石拾いの繰り返しでした。農業研修を受けた埼玉県とは気候が違うので、種をまく時期も違ったり、苦労はしました。野菜を冬に保存する方法も知らなくて、聞くのは周りの人たち。この辺の人は何でも知っているし、たいていのことは何でもやる。『別の仕事を主にして働きながら農業をやったほうがいい』と言われたけど、農業とともに生きるためにすべてをできるようになろうと思っていたので、まったく考えなかったですね」と健次さん。
農場には健次さんが作ったビニールハウスが2棟あり、肥料は飼っている鶏約50羽のふんと米ぬかを混ぜて発酵させた「ボカシ」を作る。鶏のえさも、野菜のくずや知人の豆腐屋からもらうおからなどを使っている。日本ミツバチも育てて、はちみつも収穫する予定だ。みそやしょうゆも自家製で、買う食べ物は肉類や乳製品、ほかの調味料ぐらい。
「まき割りをしたり、肥料に使う落ち葉を集めたり、畑での仕事以外にもやることはいっぱいある。自分で考えながら、やるのは楽しいですよ。大変なこともあるけれど、自分たちの暮らし、仕事、いろいろなことを自らの手でつくり上げる、そんな毎日はとても創造的です」
▽赤いくわ
夏花さんは06年8月に一心君を自宅で出産。前日まで畑で働き、1カ月後には仕事に戻った。一心君は生まれてから多くの時間を畑で過ごしている。
「病院の分娩台の上で産むのは想像できなかったんです。出産って自然のことだから自由に家で産みたいなと思って。自宅だと精神的に落ち着けるし、入院する準備もいらないので、わたしにとって安心できました。畑に出た後の夜に陣痛が始まったので、助産師さんを呼んで、翌朝に産みました」
「畑で一緒にずっといるけど、何も息子のために時間を取ることができなかったので、一時期悩んだこともありました。でも地元の友だちに『そばにいるだけでもいいんだよ』と言われて、迷いがなくなりました」
一心君が自分で歩き回るようになる1歳過ぎまでは、寝ている間に、夫婦で早起きして収穫作業をしていた。今は一緒に畑へ行くが、野菜の収穫がある農繁期は忙しく、十分に構うことはできない。横で遊んでいたり、泣いていたり、何かを手伝おうと、見よう見まねで種まきや水やり、雑草取りもする。
「じゃまになったりすることもあるんですけど、農作業は何かとやりたがる。教えたわけではないのに、作物を踏み荒らさないように歩いたり、収穫した大豆の良しあしに応じて4段階に選別するのもある程度できるようになりました。畑仕事の手伝いは結構できますね」と健次さん。
「もう少し穏やかに接してあげたいとは思いますが、忙しくてなかなかできない。疲れてイライラして、八つ当たりみたいになることもある。でもそれは自分の都合であって、息子の責任じゃないから何とかしたいな。子どもに怒るのってたいていは大人の都合なんですよね」と夏花さん。
農閑期に動物園や水族館に行ったこともあるが、遠出はなかなかできない。この春から一心君は保育所に通うことになった。
「泳げる時期に海へ連れて行きたいけど、農繁期だから難しいですね。出ようと思えば出ることもできますが、ハウスの温度とか気になったりして落ち着かないんですよ」
「3歳までは親と一緒に暮らし、それからは子どもの世界を自由に羽ばたいてほしいと思っていました。子ども同士で遊ぶ楽しさも覚えたようですし」
昨年8月、一心君の誕生日のリクエストは「赤いくわ」。近所のホームセンターで前日に購入し、夏花さんがくわの柄をペンキとビニールテープで赤くして、忙しい出荷作業の合間に渡した。大人用で大きいくわだが、ずるずる引っ張って隣の大好きなおばさんに見せに行ったり、得意気に土を掘り返していたという。
「別に農業にかかわる物を言うように仕向けてないのに、何回ほしい物を聞いても『えーとねー、赤いくわ!』と答えるので、本気でプレゼントしました。気に入ったみたいでよかったです」
1歳の時から刃物を使わせている。料理の手伝いもだいぶするようになった。
「危ないからと親から止めることはあまりしないようにしています。高いところに上ったり、収穫のはさみを使うとか、何でもやりたがることを一度はやらせる。多少のけがや転んだりしないと加減がわからないですし。逆に都会だと車が多いから飛び出さないようにとか、心配なことも多いのかもしれないですね」
健次さんは大阪、夏花さんは東京生まれで、都会で育ってきた。縁もゆかりもない長野での生活だが、地域の人が自分たちを受け入れ、困った時には助けてくれる温かさを感じる。
「息子と同い年ぐらいの孫と一緒に散歩していて通りがかったおばあさんが、そのまま散歩に連れて行って、孫と息子を一緒に世話をしてくれたりする。頼んだわけではないのに、忙しい時は助かります。道で知り合いに会うと『子どもは元気?』と声を掛けられるし、息子が隣のおばさんのところへ行って、豆の皮むきを一緒にしていたことも。息子や友だちの子どもの成長を地域みんなで見ている感じですね」
自分たちが飛び込んだ農業の世界だが、一心君に農業を継いでほしいという強い思いはない。
健次さんは「よく2人で話すのは、息子にはここを飛び出してほしいなということですね。いろいろ自分で見て決めてほしい」。「田舎の良さは都会にいる時、都会の良さは田舎にいる時に感じたり、分かるものじゃないですか。その両方を知った上で、自由にしてほしいですね」と夏花さんが続けた。
野菜を出荷しない冬の農閑期は花農家などで週に数日、アルバイトをしているが、ゆくゆくは農業だけで食べていけるよう、もう少し規模を大きくしたいと考えている。昨年秋にはお客や地域の人を農場に呼んで感謝祭を開いた。
「お客さんや地域の人と交流するのを大切にしたい。大規模な農場ではないので、もうけはまだそんなあるわけではないけど、いい物を作ってお客さんが喜んでくれるのを見ることができれば、自分たちも励みになって楽しめる」
一心君が生まれた記念に自宅前の庭に梅を植えた。ひょろひょろとした幼い木だったが、今は立派に枝を広げ、昨年初めて実を付けた。
「子どもができて、子育てでたいしたことはしていませんが、地に足が着いた感じです。ここでやっていくんだとあらためて思いました」。夫婦がまじめに自然と向き合う姿を一心君は見ながら育っていく。(共同通信デジタル編集部、10年3月30日配信)
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小森健次(こもり・けんじ)さん、夏花(なつか)さん ともに1976年生まれ。農業を始めるため拠点を探し求め、05年に長野県伊那市で七草農場を開く。肥料も自ら作り、農薬を使わない野菜や米を育てている。06年に一心(いっしん)君が生まれる。
▽小森さん夫婦の1日(農繁期)
05:00 起床。家族3人で畑へ。収穫作業や畑仕事
09:00 朝食。再び畑へ向かい、仕事
12:00 昼食。午後の仕事に備え、20分ぐらい昼寝
13:00 畑仕事
19:00 帰宅
20:00 夕食、風呂
22:00 布団で本を読みながら、一心君が就寝
23:00 就寝