子育てさがし 七草農場の小森健次さん・夏花さん

◎地域で息子の成長見守られ 自然と向き合う生活

 中央アルプスを望む長野県伊那市で有機野菜などを生産する「七草農場」を2005年から始めた小森健次さん(33)、夏花さん(33)夫妻。農作業をする2人の傍らには、長男一心君(3)がいる。地域全体で子どもの成長を見守ってくれていると感じながら、毎日の生活を楽しんでいる。

 ▽「百姓」になりたい

 健次さんは専門学校を卒業後、いろいろな物を見たい、人に会いたいと北は北海道の知床、南は沖縄の離島でアルバイトをしながら生活。米国のアラスカに行ったこともあった。米国で自然について学ぶワークキャンプで夏花さんと知り合い、夏花さんの知人を介して、家族で自給自足の暮らしをしている「あーす農場」(兵庫県)を03年に訪れたのがきっかけで、農業をしようと決めた。

 「何でも自分でやっているのを見て、面白そうでした。農業だけではない、自分も生活に必要な技術を身につけて、百の仕事ができる『百姓』になりたいと思いました」

 お互いの目指す姿、価値観が重なり夏花さんと結婚後、04年に埼玉県の農家に約1年間住み込み、農業研修を受けた。2人で各地を訪ね歩き、就農する拠点を探し始め、研修先の先輩の紹介を受け長野県伊那市にたどり着いた。

 「いろいろな物件を見ましたが、すぐに住めそうな家はなかなかなかった。日照時間や害虫が少ないなど農業を始めやすい環境も大事ですし。なかなか見つからず焦り始めていた時に、ようやく理想の場所が見つかりました」

 七草がゆを食べて無病息災を願うように、作った野菜を食べてくれた人が元気で幸せになったらいいな、という気持ちをこめて名付けた「七草農場」は、耕作放棄地を再び畑にするために、石拾いや草取りから始まった。田んぼ5アール、畑45アールだったのが、現在はそれぞれ倍程度に面積を広げ、年間50種類の野菜や米を、個人契約の約80人とレストランや自然食品店などに販売している。

 「最初はバケツがいっぱいになるまで石拾いの繰り返しでした。農業研修を受けた埼玉県とは気候が違うので、種をまく時期も違ったり、苦労はしました。野菜を冬に保存する方法も知らなくて、聞くのは周りの人たち。この辺の人は何でも知っているし、たいていのことは何でもやる。『別の仕事を主にして働きながら農業をやったほうがいい』と言われたけど、農業とともに生きるためにすべてをできるようになろうと思っていたので、まったく考えなかったですね」と健次さん。

 農場には健次さんが作ったビニールハウスが2棟あり、肥料は飼っている鶏約50羽のふんと米ぬかを混ぜて発酵させた「ボカシ」を作る。鶏のえさも、野菜のくずや知人の豆腐屋からもらうおからなどを使っている。日本ミツバチも育てて、はちみつも収穫する予定だ。みそやしょうゆも自家製で、買う食べ物は肉類や乳製品、ほかの調味料ぐらい。

 「まき割りをしたり、肥料に使う落ち葉を集めたり、畑での仕事以外にもやることはいっぱいある。自分で考えながら、やるのは楽しいですよ。大変なこともあるけれど、自分たちの暮らし、仕事、いろいろなことを自らの手でつくり上げる、そんな毎日はとても創造的です」

 ▽赤いくわ

 夏花さんは06年8月に一心君を自宅で出産。前日まで畑で働き、1カ月後には仕事に戻った。一心君は生まれてから多くの時間を畑で過ごしている。

 「病院の分娩台の上で産むのは想像できなかったんです。出産って自然のことだから自由に家で産みたいなと思って。自宅だと精神的に落ち着けるし、入院する準備もいらないので、わたしにとって安心できました。畑に出た後の夜に陣痛が始まったので、助産師さんを呼んで、翌朝に産みました」

 「畑で一緒にずっといるけど、何も息子のために時間を取ることができなかったので、一時期悩んだこともありました。でも地元の友だちに『そばにいるだけでもいいんだよ』と言われて、迷いがなくなりました」

 一心君が自分で歩き回るようになる1歳過ぎまでは、寝ている間に、夫婦で早起きして収穫作業をしていた。今は一緒に畑へ行くが、野菜の収穫がある農繁期は忙しく、十分に構うことはできない。横で遊んでいたり、泣いていたり、何かを手伝おうと、見よう見まねで種まきや水やり、雑草取りもする。

 「じゃまになったりすることもあるんですけど、農作業は何かとやりたがる。教えたわけではないのに、作物を踏み荒らさないように歩いたり、収穫した大豆の良しあしに応じて4段階に選別するのもある程度できるようになりました。畑仕事の手伝いは結構できますね」と健次さん。

 「もう少し穏やかに接してあげたいとは思いますが、忙しくてなかなかできない。疲れてイライラして、八つ当たりみたいになることもある。でもそれは自分の都合であって、息子の責任じゃないから何とかしたいな。子どもに怒るのってたいていは大人の都合なんですよね」と夏花さん。

 農閑期に動物園や水族館に行ったこともあるが、遠出はなかなかできない。この春から一心君は保育所に通うことになった。

 「泳げる時期に海へ連れて行きたいけど、農繁期だから難しいですね。出ようと思えば出ることもできますが、ハウスの温度とか気になったりして落ち着かないんですよ」

 「3歳までは親と一緒に暮らし、それからは子どもの世界を自由に羽ばたいてほしいと思っていました。子ども同士で遊ぶ楽しさも覚えたようですし」

 昨年8月、一心君の誕生日のリクエストは「赤いくわ」。近所のホームセンターで前日に購入し、夏花さんがくわの柄をペンキとビニールテープで赤くして、忙しい出荷作業の合間に渡した。大人用で大きいくわだが、ずるずる引っ張って隣の大好きなおばさんに見せに行ったり、得意気に土を掘り返していたという。

 「別に農業にかかわる物を言うように仕向けてないのに、何回ほしい物を聞いても『えーとねー、赤いくわ!』と答えるので、本気でプレゼントしました。気に入ったみたいでよかったです」

 1歳の時から刃物を使わせている。料理の手伝いもだいぶするようになった。

 「危ないからと親から止めることはあまりしないようにしています。高いところに上ったり、収穫のはさみを使うとか、何でもやりたがることを一度はやらせる。多少のけがや転んだりしないと加減がわからないですし。逆に都会だと車が多いから飛び出さないようにとか、心配なことも多いのかもしれないですね」

 健次さんは大阪、夏花さんは東京生まれで、都会で育ってきた。縁もゆかりもない長野での生活だが、地域の人が自分たちを受け入れ、困った時には助けてくれる温かさを感じる。

 「息子と同い年ぐらいの孫と一緒に散歩していて通りがかったおばあさんが、そのまま散歩に連れて行って、孫と息子を一緒に世話をしてくれたりする。頼んだわけではないのに、忙しい時は助かります。道で知り合いに会うと『子どもは元気?』と声を掛けられるし、息子が隣のおばさんのところへ行って、豆の皮むきを一緒にしていたことも。息子や友だちの子どもの成長を地域みんなで見ている感じですね」

 自分たちが飛び込んだ農業の世界だが、一心君に農業を継いでほしいという強い思いはない。

 健次さんは「よく2人で話すのは、息子にはここを飛び出してほしいなということですね。いろいろ自分で見て決めてほしい」。「田舎の良さは都会にいる時、都会の良さは田舎にいる時に感じたり、分かるものじゃないですか。その両方を知った上で、自由にしてほしいですね」と夏花さんが続けた。

 野菜を出荷しない冬の農閑期は花農家などで週に数日、アルバイトをしているが、ゆくゆくは農業だけで食べていけるよう、もう少し規模を大きくしたいと考えている。昨年秋にはお客や地域の人を農場に呼んで感謝祭を開いた。

 「お客さんや地域の人と交流するのを大切にしたい。大規模な農場ではないので、もうけはまだそんなあるわけではないけど、いい物を作ってお客さんが喜んでくれるのを見ることができれば、自分たちも励みになって楽しめる」

 一心君が生まれた記念に自宅前の庭に梅を植えた。ひょろひょろとした幼い木だったが、今は立派に枝を広げ、昨年初めて実を付けた。

 「子どもができて、子育てでたいしたことはしていませんが、地に足が着いた感じです。ここでやっていくんだとあらためて思いました」。夫婦がまじめに自然と向き合う姿を一心君は見ながら育っていく。(共同通信デジタル編集部、10年3月30日配信)

 × ×

 小森健次(こもり・けんじ)さん、夏花(なつか)さん ともに1976年生まれ。農業を始めるため拠点を探し求め、05年に長野県伊那市で七草農場を開く。肥料も自ら作り、農薬を使わない野菜や米を育てている。06年に一心(いっしん)君が生まれる。

 ▽小森さん夫婦の1日(農繁期)

 05:00 起床。家族3人で畑へ。収穫作業や畑仕事

 09:00 朝食。再び畑へ向かい、仕事

 12:00 昼食。午後の仕事に備え、20分ぐらい昼寝

 13:00 畑仕事

 19:00 帰宅

 20:00 夕食、風呂

 22:00 布団で本を読みながら、一心君が就寝

 23:00 就寝

生石高原で山焼き

紀美野町と有田川町にまたがる県立自然公園「生石高原」(標高870メートル)で28日、山焼きがあり、行楽客ら約500人が見守った。

 約30ヘクタールの草原が広がるススキの名所として知られ、枯れ草や雑草が、新芽の成長を妨げないようにと、2003年から、この時期に行われている。消防団員らが事前に周辺の枯れ草を刈り取って防火帯を設け、火勢が強い場所には放水するなどして、延焼を防止。20日には、静岡県で野焼きの火に巻き込まれ、3人が死亡する事故が起きたばかりとあって、スタッフらが「風下に近付かないように」と行楽客らに呼びかけていた。

 両町職員や地元のボランティアがガスバーナーで草木に点火すると、時折、風を受けてパチパチと大きな音をたてながら燃え広がり、草原を焦がしていった。家族で訪れた和歌山市六十谷、智弁和歌山小2年岡村直樹君(8)は「あんなに大きな火を見たのは初めて」と感心していた。

(2010年3月29日 読売新聞)

図鑑片手に道草食おう

芽吹きの春、食べられる雑草を取りながらの散歩はいかが-。こう勧めるのは、「道草料理入門」(文化出版局)の著者で、料理研究家の大海(だいかい)勝子さん(59)。「道草を食う」は、馬が草をはんで前へ進まないことを語源とする慣用句だが、大海さんはあえて言う。「道草を食って」 (市川真)

 「あれは全部、西洋カラシナ。今が旬でおいしいんです」。そう言って大海さんが指さしたのは、東京都東久留米市内を流れる小さな川の河川敷。見ると、黄色いかれんな花が咲き誇り風に揺れている。もとは外来種だが、今は全国で見られる春の植物だ。

 その川の上流にある二十数本の桑の木からは五月下旬、紫色の実がたくさん採れる。甘酸っぱく、ケーキなどのデザートに合う食材という。きれいな水が絶えず流れる水辺に群生するクレソンは、健康野菜として販売もされている。

 近くの公園に移動すると、「ほら、ここにも」と大海さんがしゃがんだ。注意して足元を見ると、芝生の緑に溶け込んで、ノビルの群生があっちにもこっちにも。丸い葉で茎の太そうなものをゆっくり抜き取ると、直径五ミリを超す球根が出てきた。焼くと、ニンニクのようなホッコリした食感と甘みが特徴だ。「田舎に行かないと食べられる草はないと思いがちですが、身近にもたくさんあるんです」と大海さん。

 大海さんが道草を食べ始めたのは三十年ほど前。夏休みになると、出版社に勤めていた夫と家族で野山にキャンプに出かけ、食料を現地調達したのがきっかけだ。新潟県出身の夫は、山菜以外にも、おいしい草があることを知っていた。近所にも、戦時中の疎開先で雑草を食べた経験のあるお年寄りがいて、何がおいしいのか教えてくれた。

 草摘みに最適な場所は、今やどこにでもある耕作放棄地や休耕田。近くに人がいたら、一声掛けてから採るようにしよう。「土地所有者かどうかにかかわらず、近所の人とコミュニケーションを取りながら草摘みをすると、楽しさが広がりますよ」

 使われている田畑の周辺は、除草剤がまかれている可能性がある。また、幹線道路の近くでは草に排ガスが染み付いているかもしれないので要注意。キョウチクトウやアジサイ、スズランなど、毒の成分を含む雑草もあり、大海さんは「何でも口に入れるのは避けた方がいい。草摘みは図鑑片手に」と助言する。

 公園や川など、公共の場所では、食べる分だけ取る節度も大事だ。

 こうした“道草”経験を繰り返すことが、川がどのぐらい浄化されているか、そこが除草剤をまかれている土地なのかどうかなど、身近な自然環境に目を向けるきっかけにもなるという。

 どう料理するかだが、日本の伝統的な山菜の食べ方であるおひたしや天ぷらだけでは、ちょっと寂しい。大海さんは「フレッシュさが売り。手の込んだものではなくても、摘んだその日の夕食には食べてほしい」と勧める。

 自然のものだけにアクやえぐみが強いのが当たり前で、摘んだら手早く調理して早く食べてしまうのがポイントだ。韓国や沖縄料理には参考になる調理法が多いという。雑草といっても、本当の旬は桜の花と同じく一週間ほどしかない。大海さんは「栽培された野菜が一年中売られている中、雑草は、残された本当の旬を味わえますよ」と語る。

足利事件 きょう再審判決

 足利事件の菅家利和さん(63)は26日、宇都宮地裁の再審判決公判で無罪の言い渡しを受ける。逮捕から18年。念願していた名誉回復だが、「自分が無罪になっても、終わりじゃない」。今度は冤罪(えんざい)を訴える人を支援し、冤罪のない社会を訴え続けるつもりだ。

 「私は両親の葬式にも出られなかった。本当は、自分を犯人にした全員に謝ってもらわないとダメ」。菅家さんは3月中旬、足利市内の実家跡地に立った。逮捕当時、菅家さんが家族と住んでいた実家は、収監中に取り壊され、今は雑草が茂る空き地になっている。「あるはずのものがないのは、さみしいですよ」とつぶやいた。

 1991年12月2日に45歳で逮捕されてから、昨年6月に釈放されるまで17年半。「自分には50代がない」。鏡を見る度、白髪混じりでシワの増えた顔に、失った年月を痛感して肩を落とす。夜は取り調べを受けた時を思い出し、うなされることもある。「元の生活に戻れるわけない。もやもやした気持ちは、生涯消えないんです」

 そんな中、数日前、実家近くに住む幼なじみの女性が、偶然菅家さんを見かけて、「警察は悪かったね。自分は信じていたよ」と声をかけてくれた。互いに涙し、再会を喜んだ。冤罪が晴れた思いがした瞬間だった。

 「支援者や弁護団、色んな人の巡り合わせで、ここまでたどり着いた。1人で戦うのは無理。今度は自分が支える番です」。昨年6月に釈放され、安堵(あんど)とともに、「自分と同じような人を支援していこう」という思いがこみ上げた。今は、冤罪を訴えている人の応援や、冤罪防止の集会に精力的に参加。活動を続けるうち、意欲はどんどん膨らんでいる。

 足利事件が全国的に報道され、菅家さん自身も広く知られるようになり、「もう、一市民に戻れないのでは」と感じる時もある。それでも「足利事件を通じ、日本に冤罪があると知ってもらいたい。そして、ほかの冤罪被害者を早く救ってほしい」と訴える。

 最近、自分の名刺を作った。肩書は「足利事件 冤罪被害者」。失った時間の代償として、冤罪のない社会を。「自分が無罪になっても、これで終わりじゃない。足利事件がきっかけに良くなれば。それがせめてもの願い」と、新たな人生を歩き始めている。

(2010年3月26日 読売新聞)

九十九里の松林再生

 千葉銀行は24日、社会貢献活動の一環として県の「法人の森制度」を活用し、荒廃が進んでいる白子町の九十九里浜沿いの県有林整備活動に乗り出すと発表した。同行は富津市鬼泪山の森林2カ所を「ちばぎんの森」と名付けて整備活動に取り組んでおり、今回で3カ所目の「ちばぎんの森」となる。

 法人の森制度は、県内の公有林を森林整備活動の場として企業に提供する目的で2002年からスタート。これまで君津市や富津市などの内陸部の森林中心が活動の対象となってきたが、九十九里浜沿いが対象となるのは今回初めてになる。

加古川で雑草火災 山陽電鉄が一時運転見合わせ 

22日午後4時50分ごろ、加古川市加古川町稲屋の加古川河川敷から出火し、雑草など約990平方メートルが焼けた。現場から約200メートル南の鉄橋に接近中だった山陽電鉄の特急電車など上下2本が、最長約7分間最寄り駅で運転を見合わせ、約180人に影響が出た。

 山電によると、鉄橋を通過中の上り電車の運転士が、河川敷の煙に気付いて運転指令室に連絡。風などで燃え広がる危険性があることから、安全確認のため電車を停車させたという。

耕作放棄地「牛放牧」田畑に

農家の高齢化などで増加する荒れた耕作放棄地を、田畑としてよみがえらせようと、三原市は2010年度、牛を放牧して生い茂った雑草を取り除く「ウッシー活用モデル事業」を始める。牛の力を借りることで、開墾に必要な労力を減らすことができるほか、牛を提供する畜産農家なども飼料代の節約になるという。モデル地域2か所を選び、3年程度で耕作地の復活を目指す。県東部の自治体では初の試みで、開墾の担い手となる市内の集落法人を4月から公募し、牛の提供についても協力を呼び掛ける。(長野祐気)

 市農林水産課によると、過疎化、高齢化が進む山間部を中心に農業の担い手不足は深刻で、市内の耕作放棄地は718ヘクタール(2005年)に上る。モデル事業では、市内2か所の耕作放棄地に牛を2頭ずつ放つ計画で、牛のフンは肥料になるという。雑草を減らすことで、農産物を荒らすイノシシの隠れ家をなくす効果も見込んでいる。

 牛は、市内の畜産農家や牧場から無料で借りる予定で、畜産農家などは、牛を預けることで、世話の省力化や飼料代の節約になるという。

 市は、牛の運搬費や電気柵の設置費などの事業費145万円を10年度当初予算案に計上した。開墾の担い手は、市内の農家で組織する集落法人21団体などを対象に公募し、5月末までに選定する。集落法人のメンバーが所有する耕作放棄地に放牧する予定だ。

 市農林水産課は、3年間での耕作地の復元を想定しており、「収穫は、早くても4年後になるが、耕作放棄地に悩む農家に一つの道筋を示すことが出来れば」と期待している。

 和牛を飼育している畜産農家の三原市久井町、松尾裕さん(76)は「草ぼうぼうの耕作放棄地が増えると、農村の景観が損なわれ、地域の衰退につながる。牛が地元の活性化につながるなら、ぜひ協力したい」と話している。

 問い合わせは市農林水産課(0848・67・6080)へ。

(2010年3月17日 読売新聞)

住民こつこつ、公園作り

京都府舞鶴市白浜台の植木職人黒岩健三さん(69)ら住民が、空き地だった市有地で公園作りを進めている。「公園の目玉に」と植樹したシダレザクラも順調に成長しており、「将来はここでミニコンサートを開きたい」と夢を膨らませている。

 趣味でトライアスロンに取り組む黒岩さんが「社会貢献で集中力を養いたい」と、市の承諾を得て3年前から公園作りを始めた。幅10メートル、長さ50メートルの土地に、町内会費で購入したシダレザクラ6本を植え、間伐材や流木を利用して手作りしたベンチを置いている。車いす利用者向けにスロープを設けた時は、道路側から出入りしやすいよう、市がガードレールの位置を変更して協力した。

 サクラに施した堆肥(たいひ)中のミミズを狙うイノシシや雑草に苦慮したが、他の住民も手伝って表土を入れ替えたという。黒岩さんは「電源を貸してくれたり、夏場に水をまいてもらったりと、多くの住民に加勢してもらい感動した。一年を通じて住民が憩える場にしたい」と意気込んでいる。

近所のきずな~孤独死なくせ

 「見守り役」募る■「無事」のバラ

 独り暮らしの人が、誰にもみとられずに病気や衰弱で亡くなる孤独死が年々増えている。独居高齢者が多い京都では、問題は特に深刻だ。予防の鍵は地域のコミュニケーションにあるとして、行政や地域による孤独死防止の取り組みが進む。

 西京区の民家で昨年11月、男性の遺体が見つかった。西京署の調べで、遺体はこの家に一人で住む60代の無職男性だと分かった。2006年10月ごろ、病気で亡くなったとみられるという。男性には埼玉県に親族がいたが、連絡を取っておらず、男性がこの家に住んでいることも知らなかった。玄関の前には雑草が生い茂り、近所の住人は「空き家だと思っていた」と口をそろえる。親族から家の処分を依頼されて訪問した不動産業者が、畳の上に横たわる遺体を発見した。

 京都市や乙訓地域を中心に不用品処分や遺品整理を請け負うアトラス京都店(向日市)の担当者は、約3年前に京都市内のアパートを訪れたときのことが印象に残っている。独り暮らしの70代の男性が亡くなって発見された。室内は、洗濯して取り込んだままの衣類などで散らかっていたという。男性が寝ていた布団や畳は排泄(はいせつ)物にまみれ、食品は腐ってにおいを放っていた。「汚れ方がひどく、家に上がるのにちゅうちょしてしまった」と振り返る。

 府警捜査1課によると、昨年1年間に遺体で見つかった府内の独居高齢者は615人。男女ほぼ半々で、約9割は病死だった。10年前の1999年は363人、2008年は593人と、年々増加している。40~64歳でも昨年、302人の独居者が遺体で見つかっている。こちらは約8割が男性だ。

 05年の国勢調査によると、府内の独居高齢者は約9万2千人。うち約6万1千人は京都市内に住んでいる。全世帯に占める独居高齢者世帯の割合は、府全体で8・7%、京都市で9・5%。ともに全国平均の7・9%を上回る。政令指定都市では大阪市(12・0%)、神戸市(11・0%)、北九州市(同)に次ぐ。

 地域内のコミュニケーションで孤独死を防ぐ取り組みも進む。

 京都市長寿福祉課は、昨年10月から「一人暮らしお年寄り見守りサポーター」を募集している。高齢者に目を配り、支援が必要だと感じた場合に地域包括支援センターに連絡するボランティアだ。市内で生活している人であれば誰でも申し込みできる。昨年末時点で約740人から申し込みがあり、同課は3年間で1万人を目指す方針だ。「向こう三軒両隣という言葉がある。目の届く範囲で目配りをしてほしい」と担当者。

 下京区亀屋町では、玄関先に置いた造花の赤いバラで高齢者の安否を確認している。住人が朝、玄関先に出し、夜に取り込む。出しっぱなしや出ない日が続いたら、異常事態だ。他の町内で孤独死が起きたことを耳にして、2007年に始めた。

 妻と2人で暮らす桑原眞一さん(88)は、「年をとるとあまり外に出なくなるが、バラが動くきっかけになり、元気になるし、町も和やかになる」と話す。

 「孤独死を防ぐのに、いちばん大切なのはコミュニケーション」と同町の住人で、有隣学区社会福祉協議会会長の桑垣千加子さん(69)は話す。「高齢者も自分から近所の人に声を掛けるなど、『可愛らしいお年寄り』を目指すことも必要」と指摘する。

上田夫妻コレクション 練馬区立美術館のゲンダイビジュツ「道(ドウ?)」展

■収集家の温かい眼差し

 手のひらに入ってしまう小さな木彫から1つの壁面を占有する巨大な絵画…。いま練馬区立美術館(東京都練馬区貫井)で「ゲンダイビジュツ『道(ドウ?)』」展が開かれている。展示されているのは、ある夫妻が集めた現代美術作品だ。展示作品からは、美術や芸術家を愛してやまないコレクターの温かい眼差(まなざ)しとコレクションのあり方が見えてくるようだ。(渋沢和彦)

 展示室の床のカーペットが正方形に剥(は)がされ、花を散らした木彫のチューリップが置かれている。さりげなく、注意しないと見逃してしまいそうだ。壁面には小さな名も知れない草の木彫が掛けられている。「雑草」という作品タイトルがそえられている。売れっ子アーティスト、須田悦弘(よしひろ)(昭和44年生まれ)の作品だ。

 別の展示室に入ると白い半球体のオブジェのようなものが置かれる。舟越直木(昭和28年生まれ)の「Moon」という粋なタイトルが付けられている石膏(せっこう)を素材にした作品。作品名から月を連想してしまうが、シンプルでストイックな造形は、見る者を引き寄せる。兄の舟越桂(昭和26年生まれ)が華々しく活躍する一方、個展の度に手応えのある発表をしている実力のある彫刻家だ。

 さらに別の展示室は、巨大な絵画に占有されている。縦2メートル、横5メートルを超える斉藤典彦(昭和32年生まれ)の大作などが迫ってくる。

 展示されているのは現在、その実力が評価されている作家ばかり。展示作品は、神奈川県藤沢市に住む上田國昭・克子夫妻がコレクションしたものだ。國昭氏(70)は元都立高校の教師。40代後半から都内の画廊回りを始め、ほとんど注目されていない新人作家の作品を自分の目を信じて買い始めた。作家と親しくなっても「次の作家を養うことがきる」とギャラリーを通して作品を購入。

 現在までに360点を超える作品を集めた。巨大作品も多いため自宅以外に1軒家を購入して保管。しかも室温調整もするほどの徹底ぶりだ。

 コレクターは数多いが、國昭氏は単なるコレクターではない。「多くの人に見ていただきたい」と、これまで約220点以上を国公立美術館に寄贈してきた。

 練馬区立美術館にも40点の寄贈をした。本展で展示された42点のうち37点は上田さんからの寄贈作品。不景気で公立美術館の予算は削られる一方で、こうした現代美術収集家の活動は大きな力となると同時に、美術品収集の意味を問いかけているのではないだろうか。3月28日まで。月曜休館(22日は開館し23日は休館)。一般500円。