足利事件の菅家利和さん(63)は26日、宇都宮地裁の再審判決公判で無罪の言い渡しを受ける。逮捕から18年。念願していた名誉回復だが、「自分が無罪になっても、終わりじゃない」。今度は冤罪(えんざい)を訴える人を支援し、冤罪のない社会を訴え続けるつもりだ。
「私は両親の葬式にも出られなかった。本当は、自分を犯人にした全員に謝ってもらわないとダメ」。菅家さんは3月中旬、足利市内の実家跡地に立った。逮捕当時、菅家さんが家族と住んでいた実家は、収監中に取り壊され、今は雑草が茂る空き地になっている。「あるはずのものがないのは、さみしいですよ」とつぶやいた。
1991年12月2日に45歳で逮捕されてから、昨年6月に釈放されるまで17年半。「自分には50代がない」。鏡を見る度、白髪混じりでシワの増えた顔に、失った年月を痛感して肩を落とす。夜は取り調べを受けた時を思い出し、うなされることもある。「元の生活に戻れるわけない。もやもやした気持ちは、生涯消えないんです」
そんな中、数日前、実家近くに住む幼なじみの女性が、偶然菅家さんを見かけて、「警察は悪かったね。自分は信じていたよ」と声をかけてくれた。互いに涙し、再会を喜んだ。冤罪が晴れた思いがした瞬間だった。
「支援者や弁護団、色んな人の巡り合わせで、ここまでたどり着いた。1人で戦うのは無理。今度は自分が支える番です」。昨年6月に釈放され、安堵(あんど)とともに、「自分と同じような人を支援していこう」という思いがこみ上げた。今は、冤罪を訴えている人の応援や、冤罪防止の集会に精力的に参加。活動を続けるうち、意欲はどんどん膨らんでいる。
足利事件が全国的に報道され、菅家さん自身も広く知られるようになり、「もう、一市民に戻れないのでは」と感じる時もある。それでも「足利事件を通じ、日本に冤罪があると知ってもらいたい。そして、ほかの冤罪被害者を早く救ってほしい」と訴える。
最近、自分の名刺を作った。肩書は「足利事件 冤罪被害者」。失った時間の代償として、冤罪のない社会を。「自分が無罪になっても、これで終わりじゃない。足利事件がきっかけに良くなれば。それがせめてもの願い」と、新たな人生を歩き始めている。
(2010年3月26日 読売新聞)