2月12日8時1分配信 産経新聞
日本のビール産業の父である「ウィリアム・コープランド」(1834~1902)の死去から、11日で107年忌を迎えた。同氏のビール醸造所を引き継いだ「キリンビール」の横浜支社(横浜市中区)が「107年忌の集い」を開き、同氏の親族も参加して山手外国人墓地にある同氏の墓にビールをかけるなどして故人の業績をしのんだ。
コープランドは、横浜開港から6年目の1864年に米国から来日。70(明治3)年、横浜・山手にビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」を開設し、ビール作りを始めた。同醸造所は84年に閉鎖となるが、翌年「ジャパン・ブルワリー」によって再建、現在のキリンビールにつながる。
「集い」には、キリンビールの佐藤希(のぞむ)横浜支社長(54)や横浜工場長、そしてコープランドの妻となった勝俣清左衛門の次女ウメさんの弟の孫である勝俣力(つとむ)さん(52)ら計25人が参加した。一行は、スプリング醸造所がビール作りに使用していた「ビール井戸」跡(現市立北方(きたがた)小学校=同区=校内)や同校校庭の地下に眠る、ビール作りのために設けられたとみられる地下水槽の入り口を見学。外国人墓地に移動し、コープランドの墓前に献花、佐藤支社長や勝俣さんらによって献酒が行われた。
勝俣さんは墓前に手を合わせたとき、「外国人も珍しい時代、新しい産業を興すのは苦労しただろう」と感じたという。
佐藤支社長は「道々歩きながら、開港当時の日本人はビールという摩訶(まか)不思議な飲み物をどんな顔で飲んだのかと考えていた。井戸を見たらなんだか神聖な気持ちになり、初心を忘れずに誠心誠意仕事をしなければと認識を新たにした」と話した。