『万能』生んだ向上心 巨人・木村コーチを悼む

木村拓也コーチは、昨季巨人で現役引退するまで3球団を渡り歩いた。19年もの間、プロ野球選手としてやってこられたのは、並々ならぬ執念に尽きると思う。

 元来、抜群に器用だった。捕手として入団したが、俊足と強肩を生かそうと外野手に転向。さらに内野手にも挑戦した。どのポジションでも成功したのは、レベルの高い野球センスのたまものだが、空いているポジションに何とか潜り込もうとする、プロとしての貪欲(どんよく)な向上心が最も大きな理由だった。

 集大成といえるのが昨年9月4日のヤクルト戦。延長十一回に捕手の加藤が頭部に死球を受け退場。巨人は、3人の捕手登録選手すべてがいなくなった。続く十二回、マスクをかぶったのは木村コーチ。10年ぶりのポジションだったが、3投手を落ち着いてリード。無失点で乗り切り、勝ちに等しい引き分けに結びつけた。

 「こういう時のために若い時からやってきた」。突然の舞台を見事に演じきったユーティリティープレーヤーの精根尽き果てた、それでいて最高に誇らしげな表情は今でも目に浮かぶ。

 そして日本シリーズを制した夜、札幌で行った引退会見。「日本一になってうれしいのと、もう野球をやらなくていいんだというほっとした気持ちが両方ある」ともらした。出番は約束されていない。だから、いつ出場の指令が下ってもいいように万端の準備を怠らなかった。毎シーズン、常に厳しい競争を戦い抜いてきた男の偽らざる心境だったろう。

 今季、そんな“雑草魂”を次代に伝えていく指導者の仕事に就いたばかり。球界は惜しい人材を失った。 (高橋隆太郎)

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