人吉市の人吉城跡に市民有志の手で建てられた「五木の子守唄(うた)」の歌碑が、国史跡指定に伴う城跡整備で撤去された後、城跡内の職員駐車場に7年近く、置かれたままになっている。市は、多額の移設費用がかかることや、適した移転先が見つからないことを理由としているが、市民からは「野ざらし同然で、市民の思いが込められた碑の存在が忘れ去られてしまう」と心配する声が上がっている。(佐々木道哉)
市によると、歌碑は自然石製で高さ約3メートル、周囲約2メートル。石碑に書かれた歌詞は、歴史小説「それからの武蔵」などで知られる相良村出身の作家・小山勝清(1896~1965年)の手によるもので、1954年、球磨川に架かる水の手橋近くの城跡内に市民の浄財で建てられたという。
相良氏が築いた人吉城跡は、61年に国史跡に指定。63年度から櫓(やぐら)や長塀などの保存修理事業が始まり、歌碑は2003年度の発掘調査の際に撤去された。
文化庁は国史跡の指定を受けた中世・近世城郭について、「江戸時代の姿に近づけるため明治以降に造られた建物や石碑などは原則として撤去するのが望ましい」との見解で、子守唄の歌碑は城跡内に戻すことはできない。
そこで市は、市内にある民間美術館跡地への移設を検討したが、費用が約500~600万円に上ると試算され、実現しなかった。歌碑は現在、職員駐車場の片隅で雑草に埋もれ、ブルーシートをかけられた状態で置かれている。
市教委は23日、移設に向けた内部協議を始めたが、「歌碑の所有者が分からず、市が費用負担するかどうかや移設場所の検討を進める」としている。
市に早期の移設を訴えてきた益田啓三さん(60)(人吉市九日町)は「郷土の大作家や市民の思いが込められた歌碑なので、早く適した場所に移すべきだ」と話している。
(2010年4月24日 読売新聞)