出征兵士の姿、記憶にとどめ JR外房線・東金線の大網駅

9月6日13時53分配信 産経新聞

 明治29年(1896)1月に房総鉄道の駅として現在の千葉県大網白里町南玉に誕生、同40年9月に国鉄大網駅となった。往時は西隣の土気駅との間に1000メートル進んで25メートル登るという急勾配(こうばい)があり、運転士泣かせの“難所”として知られた。客車を牽引(けんいん)する機関車1両だけでは力が足りず、最後尾に別の機関車1両を補助用として連結したという。

 千葉市と外房方面を結ぶ直通列車は大網駅で方向転換する必要があり、折り返して進行できるように軌道が設けられた「スイッチバック方式」も駅の特徴だった。駅近くで飲食店を営む君塚久江さん(65)は「小学生だった昭和20年代は『転車台』で方向転換する列車を眺めるのが楽しみでした」と懐かしむ。

 しかし、スイッチバックを解消し、列車の運行をよりスムーズにするため、駅自体が昭和47年に現在の場所に移転。約500メートル北東に離れた旧駅跡地の通称「旧駅公園」を訪れてみると、「旗振りて 出征兵士見送りし 駅舎の跡に 子らの歓声」と刻まれた石碑が立っていた。大網白里町の島崎善久教育長(75)は「(太平洋戦争当時)何人もの青年が、地元の小学生や婦人会など数十人に送り出されていった駅の出征風景を今も思いだす」と話す。

 駅周辺は米軍機による空襲の標的にもなり、当時を知る会社員、初芝文司さん(66)=同町金谷郷=は「防空壕の窓から見えた焼夷(しょうい)弾の明かりが印象に残っている」と振り返る。

 昭和60年代以降は駅周辺の宅地開発が進み、街は千葉市や東京のベッドタウンとして変貌(へんぼう)を遂げ、駅も表情を変えた。

 「街の顔、表玄関の駅をきれいにしよう」-。10年ほど前から毎月1日にメンバー約20人で駅構内を掃除する「クリーンステーション」(熊木千尋代表)や、駅前公衆トイレの清掃を行う「トイレ掃除に学ぶ会」(野老真理子世話人)が発足。昨夏前には、駅前で生花店を営む桑原妙朋(みほ)さん(59)の呼びかけをきっかけに、毎週日曜に駅ロータリーのプランターや土手に季節の花を植え、雑草を取り除く「大網駅を花でいっぱいにする会」の活動も始まった。

 野老さんは「花を植えて掃除をすると、駅がわが家のように感じます」としみじみと話す。「市民の皆さんと花の世話をし、作業を終えれば持ち寄ったおにぎり、パンを一緒に食べる。本当に楽しいです」と笑顔を見せるのは、日曜朝の美化活動に自ら参加している石下一郎駅長(54)だ。「地域に愛され、とけ込んでいる駅」と強く感じさせられた。(佐藤修、写真も)

 ■大網駅 1日の平均乗降人員=2万2880人(平成19年度)▼開業=明治29(1896)年1月20日▼平日の運行本数=上り92本、下り78本(うち特急は上り、下りとも16本)▼周辺の主な観光スポット=小中池公園(電)0475・70・0360(町都市整備課)、首都圏自然遊歩道(電)0475・70・0356(町産業振興課)、白里海岸(電)0475・70・0356(同)。

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