松本市波田の西部、上海渡地区の山の斜面を、小さな紫色の炎のようなカタクリの花が覆う。約4000平方メートルの斜面に約3万株。その中の遊歩道を、造園業、奥原大司さん(72)(松本市波田)がゆっくり歩く。病気の葉を見付けては、つみ取っていく。
「咲いたって聞いて、行かなんじゃいられなんだよ」。つえをついた高齢の女性が、奥原さんに声を掛ける。「今年はほんと、きれいに咲いたねえ」。しきりに感心する女性に、奥原さんは「おばあちゃんもきれいよ」と返す。奥原さんの行くところ行くところ、話の花も咲く。
奥原さんは、地元有志でつくる「16区カタクリ園友会」の会長を、2001年の発足時から務めている。会員は40~80歳代の45人。「かたくり祭」は今年で10回目を迎えた。
「ちょっと見に来いや」。1994年頃、奥原さんは、この斜面の地主に呼ばれた。養蚕業の衰退で不要になり、枯れた桑の木や雑草の陰にカタクリの群生があった。「こんなのあっただか」。波田で生まれ育ったのに知らなかった。
これはもったいないと周囲の人に呼びかけ、97年から草刈りを始めた。会員と協力して、年2回草を刈り、落ち葉を除く。やぶになった斜面での作業は大変だが、坂になっているおかげで、下向きに花を付けるカタクリが、下から美しく見えるのだ。
1万株程度だったカタクリが増え始めると、今度は斜面の一部をクワでならして遊歩道を造り、ベンチを置いた。ほかの山野草についても、名前や説明を書いた札を作った。口コミで評判が広まったのか、祭りの時には県外ナンバーの車も目立つ。会場のテントには、お茶と漬けものと会話を楽しむ人が絶えない。
カタクリは朝露や雨で、花弁が閉じてしまう。霜や雪にも弱く、見頃は天候次第。桜の花よりもはかない。今年は祭り直前の17日に雪が降り、斜面が真っ白になった。「今年はいけねえかなって。あんな心配はないよ」と、奥原さん。今は元気に咲いているカタクリを、自分の子供の成長を喜ぶように見つめる。手がかかり、気をもむが、ぱっと一斉に咲き乱れるのを見ると、苦労も吹き飛ぶ。「みんなに幸せだわって喜んでもらえるとやりがいあるよ」と、顔をくしゃくしゃにした。
祭りは25日まで。午前9時半~午後4時。入園料は高校生以上200円。
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20日朝、平日にもかかわらず、県内外から園児や高齢の夫婦、親子連れが大勢集まっていた。奥原さんは、野草の名前を尋ねられたり、花を褒められたり、数メートル歩くごとに声を掛けられ、なかなか進めない。「忙しくて」と笑うが、なんだか誇らしそうだ。旧波田町は4月から松本市に編入合併した。地域を愛する、こうした人たちの活動が、波田の名をずっと残していくのだろう。(石井千絵)
(2010年4月21日 読売新聞)