「トンポの家」

4カ月ほど前、地元では名が知れた女性同盟顧問の訃報に衝撃を受けた。

 以前、支部統合の説明会で「私たちの家(支部)は、絶対失くしてはならない!」と涙ながらに訴えた、あのハルモニだ。

 威厳あふれたハルモニの様相は、愛国事業への献身的な半生を現わしているようで、私の脳裏にくっきりと焼きついた。

 県内最小のわが支部は6年前、隣接支部に吸収合併され、ひとつの分会として存続することになった。その2年後には、市の区画整理により建物さえも取り壊されることになり、名も建物も失う寂しさに、トンポたちは意気消沈していた。更地になった支部の跡地は、雑草で覆われとても痛々しく映った。

 かつては若いオンマたちが子連れで集い、ハンメたちが歌や編み物を習い、朝青の若者たちの威勢のいい声が響き…と、地域同胞の憩いの場であったはずの地。

支部の最後を惜しんで開かれた大宴会には、古びた建物に数々の珍しい顔ぶれが勢ぞろいし、「埼玉西南支部」の看板を取り囲んで回想にふけった。そして、支部の大家族が一堂に会し記念写真に納まった。

 それから数年後の昨年末、ようやくトンポたちの念願が叶い、元の地に分会事務所が再建される目途が立つことになった。心の中で今は亡き一世たちへ報告する。

 「ハルモニ、新しい家が建ちます。ハルモニたちが守って来られたトンポの家です」

 ハルモニたちから引き継いだこの「家」を大切に守っていきたいとの決心で、私の胸はいっぱいだ。(梁清美、主婦)

一面真っ白 ソバの花満開 東近江

一面真っ白 ソバの花満開 東近江
9月27日22時49分配信 京都新聞

 滋賀県東近江市林田町で、かれんなソバの花が満開を迎えた。雄大な鈴鹿山脈を背景に、花畑があたり一面を真っ白に染め、絵画のような風景を見せている。
 夏までは麦を植えている減反田で、林田町農業生産組合が雑草を抑制する目的で、7年前に栽培を始めた。面積は約15ヘクタールで、8月末と9月上旬の2回に分けて種をまき、高さ1メートル超に成長している。
 花畑の脇にはサイクリングロードが走り、朝夕には多くの人が足を止める。同組合長の高橋至さん(63)は「見ているだけで心がなごみます」と話していた。10月上旬までが見ごろで、11月に収穫するという。

大山:大雪降~れ ゲレンデ草刈り /鳥取

9月27日16時0分配信 毎日新聞

 国立公園・大山(標高1729メートル)の山ろくにある大山スキー場管理組合加盟の4スキー場で、12月23日のスキー場開き祭を目指してゲレンデの草刈り作業が進んでいる。美保湾を見下ろす標高800メートル付近。作業は10月中旬まで続くという。
 4スキー場のゲレンデ面積は計61ヘクタール。このうち、大山国際スキー場(大山町大山)では25日に作業が始まった。ススキなどの雑草が高さ1.5メートルに伸びており、作業員5人が草刈り機で次々と刈り取っていた。
 大山にあるスキー場はここ数年、雪不足に悩まされており、昨シーズンのスキー客は14万4000人(前シーズン比15%減)。関係者は「今年はナナカマドの赤い実が多く、冬はことわざ通り大雪ではないか」と今シーズンの目標としている17万人が達成できるよう期待している。【小松原弘人】

感謝状:お手柄小学生3人に 雑草火災を鎮火--長岡京 /京都

9月24日13時1分配信 毎日新聞

 8月に長岡京市であった雑草火災で、バケツを使って消火した同市立第八小6年の池野樹君(11)▽藤井拓志君(12)▽信田勇志君(11)に、乙訓消防組合長岡京消防署が感謝状を贈った。
 8月20日昼ごろ、池野君宅に向かう途中の藤井君と信田君が、同市勝竜寺店ノ前の日本紙通商敷地内の雑草が燃えているのを発見。近くの池野君宅から持ってきたバケツ2個と虫かごで、「火事や」と大声で叫びながら田んぼの水路でくんだ水を20杯ほどかけた。約5分間かけて3人だけで消火し、消防隊員が駆けつけた時には鎮火していたという。
 17日に同小であった感謝状贈呈式では山本博一署長が「3人の素早い行動で建物に火が燃え移らなかった」と全校児童の前で話した。3人は「何とかせんといけんと思って必死だった。消えたときにはホッとした」と口をそろえた。【古屋敷尚子、写真も】

「空き家」「廃屋」の実態調査 苦情増で木津川市

9月18日11時59分配信 京都新聞

 住人が長期間いない「空き家」「廃屋」の周辺住民への影響を防ぐため、京都府木津川市は今週から、建物の実態調査を始めた。廃屋に関しては、衛生や防災、景観などの観点から、近隣住民の苦情が近年増えているという。
 市は本年度の6月補正予算で、緊急雇用創出事業として調査員6人の人件費を計上した。調査員は2人一組となり、自転車で市内の全域を巡回している。
 廃屋とみられる建物を敷地外から見て、▽外壁や屋根、窓の損傷▽隣接の道路や土地、家屋への影響▽雑草や庭木の茂り具合▽電気やガス、水道メーター▽放置車両-などの状況を、チェックシートに記入する。近隣住民から聞き取りも行う。
 登記簿などから所有者・管理者を特定し、来年2月までに調査データを台帳に集約する予定。危険な物件から優先順位を付け、所有者に適正な維持管理を要請する。
 市まち美化推進課は「全住宅の2%程度が空き家とみられるが、実態を調べ、台帳にまとめたい。廃屋の影響は多岐にわたるので、庁内で連携して対策をとり、生活環境の向上に役立てたい」としている。

称名寺:平和待つ石の鐘 戦時中に供出、「代役」67年--信濃 /長野

9月15日13時2分配信 毎日新聞

 ◇不戦の誓い語り継ぐ
 信濃町の山あいに「石の鐘」をつるした寺がある。戦時中に供出した釣り鐘の代わりとして、67年間そのままになっている。称名(しょうみょう)寺住職、佐々木五七子(いなこ)さん(80)は今夏、寺を去った鐘をめぐる戦争体験を、長野市など数カ所の集会で語った。「世の中が本当に平和になるまで、この石は降ろさない」。不戦の誓いを新たに、戦後64年目を迎えている。【竹内良和】
 寺の住職は代々、佐々木さんの親族が務めてきた。88年に夫を亡くし、今は佐々木さんが寺を一人で守っている。遠方でも11人の孫に恵まれ、「とっても幸せ」とほほ笑む。病気がちで腰も痛い。手が行き届かない境内は雑草が生え放題だが、「私は全然気にしないの」といたずらっぽく笑った。
 鐘堂は、約240年前に建てられたといわれ、そこにつるされた縦約1メートル、直径約80センチの石は、棒で突くと「コン」と軽い音をたてるだけだ。
 1942年10月1日。当時13歳の佐々木さんは釣り鐘を降ろす村人を見つめていた。「四里(約16キロ)四方」に響き渡り、村人が手を合わせた鐘。戦争で金属類が逼迫(ひっぱく)し、軍は全国の寺から鐘を供出させた。
 「お国のため」と説得されたが、前年は仏具や鍋釜を取られた。今度は物心がつかないころから親しんできた鐘を持って行かれる。無性に腹が立った。
 荷車に積んだ鐘を囲む記念写真に、佐々木さんは一人、そっぽを向いて納まった。近所の家の庭石が代わりにつるされ、表面には「梵鐘(ぼんしょう)記念 昭和十七年十月」と刻まれた。
 さらに、戦局は悪化し、村人が鐘堂脇の斜面に根を張る桜の大木を「畑にする」と切りに来た。「こんな狭い所を畑にして、どれだけ食糧増産できるのか」と抗議すると、申し訳なさそうに帰って行った。子供心に「国の命令で嫌々来た村人の顔が気の毒で見られなかった」という。
 本堂には、金属製仏具の代わりに、国から黒光りしたガラス製の仏具が与えられた。だがある日、出征した婚約者を亡くした若い女性が「突撃」と叫び声を上げながら暴れ、たたき割ったという。
 戦後、住民から「新しい鐘を」と寄付の申し出もあったが、「あの鐘の音は戻らないので」と断ってきた。
 人々の大切な多くのものを奪った戦争。
 「みんな、わが身ばかり大切に思うから戦争は起きるのよ」。普段は温厚な佐々木さんが、石の鐘を見る時だけは表情が厳しくなった。

薬師丸ひろ子「歌の力与えられた」 元日本兵帰国に貢献、渡辺はま子を演じる

9月11日12時2分配信 産経新聞

 戦後、フィリピンで死刑囚となった元日本兵108人の帰国に貢献した歌手、渡辺はま子の足跡をつづったドキュメンタリードラマが、12日にフジテレビ系で放送される。はま子を演じた薬師丸ひろ子は「歌声が大勢の命を救ったことに、演じながら感動した」と話す。

 戦前戦後に活躍したはま子は、「蘇州夜曲」「支那の夜」などのヒットで知られる流行歌手。昭和26年の第1回NHK紅白歌合戦では、「桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン」でトリを務めている。

 そのはま子が27年に吹き込んだ「あゝモンテンルパの夜は更けて」は、フィリピンの日本人死刑囚が作詞作曲した曲で、20万枚を超すヒットを記録。はま子は現地に死刑囚を慰問して歌ったこともある。さらにこの曲のオルゴールを聞いた当時のキリノ比大統領が感銘を受け、全員の釈放につながったほどだ。

 劇中、この曲を歌った薬師丸は「はま子さんの墓参りをして、歌の力を与えてくださいと念じた。本番では、練習した以上の力を与えていただけた」。

 フジテレビの成田一樹プロデューサーは「はま子さんが歌わなければ、108人の命は危うかった。何とか家族と再会させたいという彼女の情熱を感じてほしい」と話している。

 ドラマに加え、旧日本兵の獄中日記やはま子あての手紙、フィリピンでの裁判の記録映像なども交えて構成。12日午後9時から「土曜プレミアム」枠で放送する。

地球温暖化による農作物の影響調査まとまる-農水省

9月11日9時22分配信 サーチナ

 農水省は地球温暖化による平成20年の農作物への影響調査の概要を公表した。

 水稲では北海道を除く全てのブロックで斑点米カメムシ類が多発したことや関東、東北以北ではリンゴの果実肥大期から収穫期(8月から10月)が高温だったため、着色不良になるなどの影響を受けていた。トマトも北海道を除く全ブロックで着果不良などの被害を受けていた、としている。

 一方で、こうした高温障害への対応として、水稲やトマト、柑橘では高温耐性品種の導入を図る動きが進んでいたり、水稲では遅植えでの対応、カメムシ類の多発には畦畔雑草の管理などの取組もみられた。

 高温耐性品種の導入事例では鹿児島県農業開発総合センターの事例などを紹介している。農水省によると、同センターでは「出穂が遅く登熟期の高温による品質低下が回避できる新品種 ・あきほなみを開発し、2008年度は採種圃、実証圃での栽培を行った。そして、今年度は約150ヘクタールの作付が行われている」という。同センターでは「ヒノヒカリとの区分管理が可能な地域から順次作付面積を拡大し、2012年度までに2000ヘクタール 以上の普及を目指す」としている。

 同調査は2006年度から毎年実施されており、発生状況と適応策をまとめることにより、農業者や農業指導者の参考資料に役立てている。(編集担当:福角忠夫)

機銃掃射跡:墓石や灯ろうに 1945年の米軍攻撃か--尼崎・本興寺 /兵庫

9月9日14時1分配信 毎日新聞

 ◇「戦争被害伝えたい」
 かつての城下町の風情が残る尼崎市寺町地区に建つ「本興寺」(同市開明町3)の灯ろうや墓石に、米軍機の機銃掃射の痕跡とみられる跡十数カ所が残っていることが分かった。近くの旧開明小学校の塀にある機銃掃射跡はよく知られているが、寺町ではほとんど知られていない。初めて確認した尼崎市立地域研究史料館の辻川敦館長は「市史にも記載のない事実。地域の歴史を伝える意味で意義がある」と話している。【大沢瑞季】
 寺町地区は、尼崎城の築城とともに、寺院勢力を統括しやすくするなどの目的で寺を集めて整備された。今日もほぼ変わらない区画で、11の寺がまとまって存続する珍しい地区。国や県、市の指定文化財が多数保存されている。
 尼崎市発行の「図説尼崎の歴史」によると、1945年3~8月にかけ、尼崎も度々空襲に遭った。焼夷弾(しょういだん)による攻撃の他、戦闘機からの機銃掃射も数回あった。合計で、死者約480人、負傷者約700人の被害が出た。
 旧開明小の南西にある塀には、45年6月1日に飛来した米軍機が、機銃掃射した際についたと伝えられる跡が残っており、説明板もある。同小から数十メートルしか離れていない本興寺にも、灯ろうや墓石などに、十数カ所の弾痕とみられる円形の跡があり、同じ時についたとみられる。
 本興寺一乗院の斉藤治子さん(83)は空襲当時、家の中に隠れていたが、航空機の音や銃撃の音とみられる「ゴォー、バリバリ」という大きな音がした。焼夷弾も落とされたため、周囲の寺院は焼け、敷石も大きくへこんだという。機銃掃射を受けた人が鐘突き堂の前で亡くなったり、焼夷弾の火を座布団で消そうとした住職が、被弾して足をけがした、という。斉藤さんは「今でも弾痕を見ると、当時のひもじい生活を思い出してしまう」と振り返った。
 辻川館長は「旧開明小の塀も市民の熱心な声があり、保存された。同様に寺町の歴史も掘り起こし、戦争の被害を伝えていければ」と話した。
〔阪神版〕

スクランブル:今夏の野菜、高くなった? 収穫減でも値上げできず /広島

9月8日16時1分配信 毎日新聞

 ◇長雨や日照不足影響
 今夏、長雨や日照不足の影響で野菜の不作による値上がりが伝えられた。ところが、県内産の野菜はあまり値上がりしておらず、逆に農家は値上がりによる消費者離れを危惧(きぐ)していた。広島近郊の農業現場を訪ねた。【井上梢】
 ◇消費者離れ、農家が危惧
 「トマトの実がならないし、実っても割れてしまう」。安佐南区緑井8で約20アールの畑を耕す栗田智恵さん(55)は嘆いた。畑には葉が黄色くなった苗があちこちにある。夏野菜は暑くならないと花が咲かず、実らない。梅雨が長引き、「雨降りが水たまりになり、根が腐ってしまった」。おかげで豊作を期待したトマトの出来が悪かった。他にもズッキーニやカボチャが不作だった。「収量は例年の三分の一」
 一方、雑草はよく伸びた。雨の翌日は必ず草取り。いたちごっこの繰り返しは無駄手間に終わった。「一生懸命に苗を作ったのに、がっくりよね」
 栗田さんは収穫物を近くの産直市に出している。1パック100円前後と固定価格で売っている。「消費者の財布を意識すると」大幅な値上げはできず、「収穫の落ち込みは収入減に直結した」とため息をつく。
 広島市中央市場(西区)によると、全国からの作物も含め同市場で扱った野菜の平均単価は、1キロ当たり8月上旬が231円、中旬が253円と上がり、下旬に約240円に落ち着いた。昨年8月は202円だったことから、「やや高い」という見立て。だが、07年8月は229円、06年8月は263円だったことをみると、「そこまで高いという印象ではない」という。
 安佐北区深川2でキュウリなど生産する佐藤和夫さん(58)は「実際の市況はそんなに高くない」と言う。約30年ほど前から父の畑を引き継いだ。80年当時の年間平均市況は同市場によると、1キロ当たり181円。物価上昇率を考慮すると、比較的安定しているという。
 同市場の卸売業者「広印青果」も「今回の野菜の高値は、北海道産の大根や長野産のレタスなど特定産品が上昇し、それがマスコミで取り上げられ、消費者の意識に『野菜が高くなった』と織り込まれていった」とみる。
 佐藤さんは「肥料や農機具は年々高くなる。逆に農作物の価格は固定されている。生産の現場が疲弊するだけ」と訴える。「異常気象は毎年、どこかで必ず起きる。2~3割の変動は普通だ。工業製品と違って自然相手で同じコストで作れないことを消費者は分かってほしい」と話した。