人生は回り道していい

獣医師を20年以上続けていると、たまに獣医学生から相談を受ける。最近もある女子学生から「休学して実家に戻っている」と打ち明けられた。高校時代に私の本を読んで入学したけれど、獣医学部になじめないというのだ。

 獣医師になるには6年間大学で勉強して卒業し、国家試験に合格しないといけない。獣医学部のある大学は全国でも少なく、自宅を離れて一人暮らしをするケースが多い。

 大阪出身の私も、北海道の大学に入学して、一人暮らしを始めた。4月になっても冬のように寒く、ホームシックにかかった。毎日、実家に電話しては泣いたものだ。

 講義も実習も難しい上、いままで親にやってもらっていた洗濯や掃除などの家事も、すべて自分でこなさなければならない。まあ、こういう性格なので、2年生にもなれば親の干渉がない自由な学生生活を満喫していたけれど、すべての人がそうとも限らない。

 だから、一度入学して獣医師をあきらめても、「それはそれでよし」とした方が、いいように思う。獣医師はやりがいのある仕事だが、固執することはない。他にもいくらでも道はあるのだから。学生から相談を受ける度に「雑草のようにたくましく生きてみたら」と提案する。

 相談を受けていた女子学生から先日、「編入試験に合格しました」と明るい声で報告があった。獣医師の道はやめ、今度は心理学の勉強を始めるという。ちょっと回り道をしたかもしれないけど、40歳を過ぎた私から見れば、大きな問題ではない。心理学に新たな道を探る彼女に、心からのエールを送りたい。(獣医師・石井万寿美)

サクラソウのための草焼き さいたま市

 さいたま市は12~29日の間の2日間程度、同市桜区の「さくら草公園」で雑草の草焼きを行う。園内はサクラソウの自生地で、国指定特別天然記念物になっている。市は「洗濯物などに灰がつくこともありますが、文化財保護の観点から了解していただきたい」と呼びかけている。

 市によると、草焼きはサクラソウが芽吹きやすくする上、焼却灰の栄養分を地中に吸わせるために行う。見学は自由だが、自生地内には立ち入れず、職員の指示に従う必要がある。

寒波のプレゼント 伊佐市の山あいに氷の芸術

伊佐市最北部、標高450メートルの山間部に位置する布計集落で8日、ここ数日の厳しい冷え込みがもたらした氷の造形がみられた。
 県道布計山野線金山橋沿いの草地では、配水管から漏れて噴き出した水しぶきが雑木の枝や雑草をつらら状に凍らせ、高さ3メートル、幅4メートルの自然の“芸術作品”をつくった。つららは長いもので2メートル近いものも。
 近くの商店経営村上文枝さん(79)は「今朝の室内の気温は2度。今年は寒い日が多く、いつもよりストーブ用の灯油の消費が早い」と話した。
 鹿児島地方気象台によると、県内の寒気は9日からいったん緩むが、12日夜から再び、冬型の気圧配置となり冷え込む見込み。

坂戸・すみよし桜の里:ゼロから観光地作り 住民の手で見物客2万人に /埼玉

坂戸市塚越地区で、住民が「飯盛川」の荒れた土手に早咲きのサクラを植え、ゼロからの観光地作りを進めてきた。近くに大宮住吉神社があることから、今では「すみよし桜の里」と呼ばれ、「一足早い春を楽しめる」と県内外から観光客が訪れるようになった。市観光協会は、近くのイチゴ農家や日本最大級の台湾式宮殿「聖天宮」と連携した観光ルート作りを進めたい考えだ。

 03年、葦(あし)や雑草が生い茂り、防犯や防災、景観の面でも課題のあった荒れた河川沿いを、「人の集まる観光地にしよう」と地元の60歳前後の約30人が「すみよし花卉(かき)愛好会」(矢沢儀一会長)を設立した。

 その年の春、1本1万円でサクラのオーナーを募り、若木を約1キロに120本植樹した。サクラは、2月末~3月中旬に咲く大島桜と寒緋桜(かんひざくら)の交配種にした。夏には隣接する休耕田に4000株のショウブも植えた。サクラは4年後に咲くようになった。

 花見の季節になると、テントに長テーブルと椅子を置いた休憩所で、炭火の焼き鳥やだんご、うどんなども販売しながら「お客さんにできる限りのおもてなしを」と見物客を迎えている。

 「車椅子でも近くで花を見られるように」と、鉄板を並べて遊歩道も整備しており、メンバーが車椅子を押して歩くサービスもしている。

 坂戸には観光名所が少なく、観光はよさこい祭りなど「イベント主体」(市観光協会)。そこで観光協会も観光業者らに直接PRするなど「すみよし桜の里」を全面的にバックアップしており、昨春の見物客は2万人を超えた。

 愛好会の矢沢会長は「我々がいなくなった後もこの里を守る人を作るのがこれからの課題。10年、20年後でも多くの人が訪れる名所になっていてほしい」と話している。【鷲頭彰子】

箱根駅伝:“雑草軍団”東洋大、強さの秘密とは?

【箱根駅伝】昨年勝つまでは、60回以上出場しているチームで唯一優勝のない学校だった。それがあっさりと連覇を飾れたのは、勝利を目指す態勢の結実があった。

 02年にシドニー五輪男子マラソン代表の川嶋伸次氏が監督に就任後、大学の川越キャンパス内に全天候型のトラックやナイター設備が完成。練習場所を探し歩く必要がなくなり、朝練などが自分たちのペースで行えるようになった。また、箱根の山を走る選手が新潟・旧山古志村で1週間の夏合宿を張るのも恒例行事となった。アップダウンのある9キロのコースを1日5本。この特別合宿が“新・山の神”柏原の驚異の脚力を生み出した。そうした土台の上に酒井監督の指導が上積みされた。

 昨年と同様に高校時代に主要大会に出場したメンバーはほとんどおらず、柏原も例外ではない。スカウトを手掛ける佐藤コーチは「記録にとらわれずにいい選手がいると聞けば足を運ぶ。誰も声を掛けないような選手じゃないとうちに来てくれないしね」と笑った。箱根の優勝効果で声を掛けた高校生の入学率も上がっているというが、佐藤コーチは「うちのパターンは変えたくないね」と語る。雑草軍団をしっかりとした環境で育てる。そうすればエリートランナーにも負けないことを連覇で証明した。

 <食事も管理徹底>選手の健康管理のため、酒井監督が新たに始めた決まり事がある。自分の食べたものを毎日写真に撮って監督に報告する「食日記」だ。それを監督が栄養士に見せて助言を受け、個々に応じてアドバイス。食生活を改善させ、各自の血液データや骨密度まで調べて体調管理に生かした。アンカーを務めた高見は「優勝できたのは秋になってもケガをした人がいなかったのが大きい」と成果を話していた。

 ▼東洋大 1887年(明20)に哲学者の井上円了によって創設された哲学の専修学校「哲学館」を前身とする総合大学。文学、経済、経営、法学、社会学、ライフデザイン、工学、国際地域、生命科学などの各学部があり、09年度の学生数は2万7678人。本部は東京都文京区白山、竹村牧男学長。陸上部は埼玉県の川越キャンパス内にグラウンドを持ち、合宿所も併設されている。野球、アイスホッケー、相撲なども強豪。(スポニチ)

2010年1月4日

【高校サッカー】矢板中央、無欲の快進撃で初の4強入り

 「信じられない。国立は私にとっても小さいころからのあこがれの地ですから」。高橋監督も興奮を抑えきれない。矢板中央が広島観音の県勢連覇の夢を打ち砕き、初の4強。栃木勢としても1985年度の宇都宮学園以来、24大会ぶりの国立切符だ。

 後半6分に先制を許してから逆襲が始まった。16分、途中出場のMF島野のゴールで追いつくと、30分にはMF益子直が左足でこん身の逆転弾。個々の能力では相手が上回っていたが、須藤主将は「最後まであきらめず、気持ちをひとつにできたことが逆転につながった」と胸を張った。

 前評判は決して高くなかった。夏の高校総体は県予選準々決勝で敗退。関東プリンスリーグも12チーム中11位に終わった。ふがいなさにショックを受け、10人以上の3年生が引退。「方向性が見えなくなり、バラバラになった」と高橋監督は振り返る。それでも残った3年生を中心にミーティングを重ね「ウチはスター選手がいない。全員でサッカーをしよう」と再結束。「ここまで成長してくれるとは」と指揮官も驚く快進撃を呼び込んでいる。

 この日の試合前、栃木県出身のお笑いコンビ「U字工事」から激励の動画メッセージと色紙が届いた。会場には高橋監督の母校である矢板東高の応援団も駆けつけた。地元の期待も高まる中、ほとんどが地元出身の“雑草軍団”は、夢舞台でも全員サッカーを貫くつもりだ。(森本利優)

被災地は今:インド洋大津波から5年/中 タイ、忘れられた犠牲者

◇冷凍コンテナに32人
 ブーン--。タイ南部パンガー県の津波犠牲者身元確認センターで、雑草に覆われた冷凍コンテナ1基から低いモーター音が響く。中には、インド洋大津波から5年たった今も身元が分からない32人の遺体が保管されている。「もう家族が訪れることもないだろうに……」。センターを1人で管理する警察官はこぼす。

 タイの大津波による犠牲者は約8200人。警察当局は各県に身元確認センターを設置し、家族とのDNA照合を実施。身元確認された遺体は遺族に引き渡すか、現地で火葬して埋葬した。

 パンガー県のセンターには約3000体が集められたが、約400体が身元不明のまま残った。その多くは近隣のミャンマーからの出稼ぎ労働者と見られている。

 「いまの収入は郷里の数十倍。家族のためにここで稼ぐしかない」。ゴム農園で働くミャンマー人男性(45)は語る。パンガー県では常時数万人のミャンマー人が働いているとされる。

 仕事は早朝から深夜に及び、タイ人は「3D」(危険、きたない、困難の英語の頭文字)と敬遠する。「我々にはミャンマー人が必要。彼らは人身売買に近い形でここへ来るが、雇用主が申請すれば当局は労働許可証を出す」。ゴム園の経営者はそう説明する。

 ただ、津波犠牲者の遺体がミャンマー人と推定されても母国の家族と連絡が取れないケースが多く、地元役場幹部は「今となっては最終的な身元確認は不可能だ」と話す。

 センターは昨年までに未確認の遺体のほとんどを火葬し、事務所も閉鎖した。それでも1基のコンテナだけは稼働を続けている。関係者はその理由について、「警察は各国のセンターへの寄付金を、別の用途に使ってしまった。帳簿の帳尻が合わないから完全に撤収できない」と漏らす。

 アンダマン海に面したパンガー県は、海をはさんだプーケットと並ぶ国際的なリゾート地だ。津波被害を受けた大部分のホテルが営業を再開し、今はクリスマス休暇の客でにぎわう。「地域住民は何らかの形で観光産業にかかわっている。観光の回復が地域復興に直結する」。地元業者は期待を込める。

 しかし、タイの内政混乱や新型インフルエンザ、世界経済危機の影響を受け、観光客の回復は順調とはいかない。「センターをめぐる問題は観光客呼び込みに悪影響を与えかねない」。役場幹部は顔を曇らせた。【パンガー県で西尾英之】

石垣・堀の大掃除作戦

2009年もあとわずか。播磨地域は18日、姫路城の石垣や内堀の雑草などを取り除く「姫路城クリーン作戦」や、姫路セントラルパーク(姫路市豊富町神谷)の「干支(えと)の引き継ぎ式」が行われるなど、迎春準備が本格化した。

 姫路城では、陸上自衛隊姫路駐屯地(姫路市峰南町)の隊員約500人が、山岳や渓谷の急斜面を想定した訓練を兼ねて、普段は危険で出来ない石垣などの雑草を取り除く大掃除を行った。

 この冬一番の冷え込みとなり、最低気温は氷点下1・6度を記録。午前6時20分頃、トラック70台、レッカー車3台、ボート20隻が姫路城に集結し、8時に作業が始まった。

 本丸の石垣「扇の勾配(こうばい)」(高さ約15メートル)に、腰に命綱を着けた隊員が、カマやナタで雑草を刈り取ったり、内堀の水面に浮かんだ枯れ枝などを網で集めたりした。作業は約8時間30分後に終了し、約20トンの枯れ木や雑草を回収した。

(2009年12月19日 読売新聞)

月給8万円から“出戻り” 横浜右腕「雑草魂で」

元ロッテの杉原が、同じくロッテから移籍の早川と横浜市内の球団事務所で入団会見に臨んだ。

 杉原は島根・開星から03年ドラフト3巡目でロッテ入りも右肩痛に悩まされ、06年オフに解雇。大阪府内のドコモショップでアルバイトしながら、NOMOベースボールクラブで夜に練習するハードな生活を3年間続けた。「月給8万円だったのでギリギリの生活。もう1度プロに戻れてうれしい」と笑顔を浮かべた。

 元プロの“出戻り”は史上3人目だが、ブルペンの投球を見て獲得を決めた堀井チーフスカウトは「球種が豊富で制球も良い。手足が長くて西武の岸みたいな感じだね」と期待は大きい。すでに入寮し、横須賀で練習している右腕は「自分では先発タイプだと思う。雑草魂で頑張りたい」と念願の再スタートに気合十分だった。

コハクチョウ 越冬中 金沢の水田 親子で餌探し

河北潟近くの金沢市才田町の水田で十二日、コハクチョウの群れが餌を食べる様子が見られた。

 コハクチョウはシベリアから十月半ばごろに飛来。この日は羽が灰色がかった幼鳥数羽を含む約二十羽が、水田で稲の収穫後に生える二番穂や雑草スズメノカタビラなどを食べていた。

 時折大きく羽を広げるなどのんびりとした様子で過ごした群れは、薄暗くなると、ねぐらのある西の方へ向かって飛び立った。

 十二月下旬ごろには、金沢市やかほく市、津幡町にかけての水田地帯で、二百羽ほどが観察できる。シベリアに戻るのは来年の三月下旬ごろという。

  (山野舞子)