お墓参り:代行、引き受けます 浜松の造園業者進出、墓周辺の植木手入れも /静岡

7月16日11時0分配信 毎日新聞

 高齢や遠隔地への転居などでお墓参りに行けない人に代わって墓地の掃除や供花などを請け負う「お墓参り代行サービス」に、浜松市北区細江町の舩越造園が進出する。
 代行サービスは07年に横浜市の「まごころライフ」が始め、主にインターネットで注文を受けて全国の代行者に取り次いでいる。
 舩越造園は、パソコンができない高齢者などから電話で注文を受け付けてまごころ社に取り次ぐ一方、まごころ社から墓参依頼を受注する。墓参りをする範囲は天竜川以西の県内。
 サービスと料金は全国一律。掃除、墓のクリーニングと撥水(はっすい)コーティング、墓参りがセットの「標準コース」は1万7000円▽花と線香を供える「お花コース」が6000円▽墓の写真を送る「状況確認コース」が4000円。別途交通費が必要。また、舩越造園の本業を生かした独自サービスとして、墓周辺の植木の手入れもオプションで追加できる。
 今期は10件、最終的には年間50件の受注を目標にしている。
 舩越貴久専務は「顧客に墓参りの代行をどう思うか聞いたところ『いいサービス』『自分の気を休ませるために必要かもしれない』など、好意的な意見が多かった。本業の植木管理の新規顧客開拓につながることを期待している」と話している。【瀬上順敬】

英旅行者、オーストラリアの山林から12日ぶり生還

7月16日11時13分配信 ロイター

 [シドニー 15日 ロイター] シドニー郊外の山林地帯ブルーマウンテンズで15日、行方不明になっていた英国人バックパッカーが12日ぶりに無事発見された。
 ジェイミー・ニールさん(19)は宿泊していたユースホステルに携帯電話などの所持品を置いたまま、ブルーマウンテンズで10キロのハイキングに出かけ、行方が分からなくなっていた。
 別のハイキンググループによって発見されたニールさんだが、専門家は無事生還できた理由について、最近の降雨のおかげで水分補給できたからと語っている。
 捜索を手伝うためシドニー入りしていたニールさんの父親は、生きて再会できることはあきらめていたという。脱水症状などで入院中の息子と会った父親は、記者団に対し「彼の名前を彫ってろうそくに火をともし、赤いバラを埋めたら、彼が死の淵から帰ってきた」と語った。
 父親によると、ニールさんは木の実や種、野菜に似た雑草などを食べて過ごしていた。

カルガモ:夫婦仲良くスイスイ 「生態園づくり」が結実--伊丹・瑞穂小 /兵庫

7月15日13時1分配信 毎日新聞

 ◇児童ら歓迎「野鳥もっと来て」
 学校に動植物を呼び込む「生態園づくり」(毎日新聞社、国際花と緑の博覧会記念協会主催)の対象校に一昨年に選ばれていた伊丹市瑞穂町の市立瑞穂小学校にカルガモの夫婦が飛来、観察池で仲良く泳ぐ様子が確認された。物陰などがつがいの環境として気に入られた、と専門家はみている。
 同校PTA会長の板野彰彦さん(48)が4月25日正午ごろ、降雨でビオトープの池(直径約5メートル)があふれないか点検中、カルガモのつがいを見つけた。藻をついばんで離れなかったという。その後も近辺で児童がカルガモを目撃したという。
 池周辺は約2年前からPTAが費用を出したり、生態園づくりなどの支援を受けて整備。メダカを放流し、雑草など10種類以上の植物を植え、今はヤゴやオタマジャクシがすむ。
 日本野鳥の会会員で大阪市天王寺動植物公園事務所の榊原安昭獣医師は「カルガモは群れから離れ、つがいで繁殖の場所を探す時期。草陰などの環境が気に入ったのだろう」と推測する。同校ビオトープ委員会委員長の片山翔君(6年)は「遊びに来てくれてうれしい。もっと野鳥が来るよう生き物がすみやすい環境にしたい」と話している。
 2010年度に観察する生態園の対象校を8月31日まで募集する。問い合わせは花博記念協会(06・6915・4513)。【大島秀利】
〔神戸版〕

病院から地域へ、「人生を取り戻すために」

7月13日11時51分配信 医療介護CBニュース

【第69回】末安民生さん(日本精神科看護技術協会会長)

 厚生労働省の精神保健福祉対策本部が2004年9月に取りまとめた「精神保健医療福祉の改革ビジョン」で、「入院医療中心から地域生活中心へ」という精神保健医療福祉施策の基本的な方策が示された。また同省は昨年4月に「今後の精神保健医療福祉のあり方等に関する検討会」を設置し、ビジョンに基づくこれまでの改革の成果を検証するとともに、入院患者の地域生活への移行支援のための方策などを検討している。同検討会の委員で、6月1日に日本精神科看護技術協会の会長に就任した末安民生さんは、今後の精神保健医療福祉を考える上で、「その人の人生を取り戻すことが、一番必要だ」と語る。病院で多くの月日を過ごした患者が人生を取り戻すために求められていることは何か-。末安さんに聞いた。(前原幸恵)

-精神保健医療福祉が変わろうとしている中で、日本精神科看護技術協会の会長に就任されたわけですが、今どんなことをお考えですか。

 今、精神科の病院がどうなっているのか、精神医療がどう変わるかというのが、少し見えにくい。精神科の看護師が病院で引き続き働いていけるのか。働いていけるとしたら、病院はどんなふうに変わるのか、という見通しを持たないといけない。
 また今後、地域で働く看護師、例えば訪問看護ステーションとか施設で働く人たちを増やしていくという戦略も必要だと思う。でも、そこでは精神科の看護師だけが働いているのではなくて、精神保健福祉士さんや作業療法士さん、心理職の人たちも働いている。そういう場所では単に数が増えればいいという話ではなく、どういう仕事をするのかということが問われてくる。もし病院がなくなっていくのだとしたら、その代わりに何ができるのか、何を求められているのか、ということを考えていく必要があるだろうと思っている。

■「患者のかすかな願いをかなえられるなら、支援しなければならない」

-厚労省の推進する、退院可能な精神障害者の地域移行支援の取り組みについてどう思われますか。

 薬物療法も進歩したし、障害者自立支援法ができて3年が経過した。地域では「患者を受け入れていける」と言っている。それなのに実際には、多くの患者は地域に出てきていない。なぜなのか? わたしには不思議でしょうがない。
 確かに、「病院から出たくない。このままにしといてくれ」という患者が少なくないのも事実だ。わたしも地域移行支援事業にかかわって患者さんのそばに行く機会があり、そういう言葉を直接聞くこともたくさんあった。精神科病院に30年、40年入院している人はもう、精神病院のベッドの周りが自分の世界になっている。病院をわが家だと思って生活している人に、「いや、あなたの家はここじゃない」と言っても、「何のこと言ってるの?」という感じだと思う。だけど、自分の周りでぽつぽつと他の患者さんが退院されたりとか、逆に病気や老衰で亡くなる方を見ると、「そのうち、わたしもああなるのね」と言われる。だから、その人たちのかすかな願いをかなえられるなら、わたしたちは支援しなければならない。例えば、親の墓参りに行くとか、もし家があれば、家に行くとかするべきだ。実際に何十年も帰っていない家に行くと、更地や駐車場になっていたり、家が崩れ落ちる寸前になっていたりするのを見て、かえって落胆する患者さんもいないわけではない。でも、近所の方の中に知っている人がいたり、「風景はだいぶ変わってるけど、この街並みは変わってないな」という話があったりすると、「あそこに帰りたい」という思いが出てくる。なかなか退院できない患者さんがいたとしても、落胆する必要はなくて、その人がどんな人生を歩んできたかということを、その人と一緒に考えるということが必要なんだ。「その人の人生を取り戻す」とか、「住み慣れた町に帰す」ということを政策としてやるべきだと思う。そこには、その人の基盤があるわけだから、一度そこに戻してあげるということ。その後で「やっぱりここじゃなくていい。病院に戻りたい」という人がいるかもしれない。そのときは「戻っていらっしゃい」と言ってあげればいい。
 つまり、「人の幸せは何によって得られるか」ということ。そのために国家は何をするか? 本人は何をするか? 医療従事者は? 看護師は? そういうことだとわたしは思う。

■「足りないものを用意したら、よくなるかといったら、よくならないんだよ」

-退院可能な精神障害者が地域での生活に戻れるように、看護師はどういうふうにかかわるのですか。

 精神障害の患者さんは、精神症状の出方によって生活障害が変わる。つまり、生活のしづらさが変わる。これは、一人ひとり相当違う。その「生活のしづらさ」に丁寧に対応していかなくてはいけない。これは、介護保険のようにランク付けして、「このランクだったら、何をいくら」というように、サービスを振り分けるということじゃ済まない。行政の人がシートでチェックしたり、ケースワーカーが来てケースマネジメントしたりして、「これが足りない。あれも足りない」と並べて、それを用意したら、精神障害者がみんなよくなるかといったら、実際はよくならない。
 精神科の看護師は、「きょうのスケジュールをこのまま決まっている通りやったら、夜眠れなくなるな」とか、「自分を傷つけるんじゃないかな」とか、そういうことを推測する。それは、何かチェックリストのようなものがあって、「この要件満たしたら、危ないんじゃない?」となっているのではなくて、何が起ころうとしているかを分かろうとする。「分かる」じゃなくて、「分かろう」とする。「今、この人には何が必要か。お金とか制度ではなくて、自分を取り戻すのには何が必要か」という見極めは、訓練をした看護師でないとできない。
 わたしが看護師として一番大切に考えていることは、患者さんが「どうしたいのか」を一緒に確かめるということ。病院で生き続けるのか、退院していくのかということは、患者さん自身が決めなきゃいけない。介護保険のように要件が整理されていて、「病院にいる必要がなかったら、地域に移行します」という問題じゃない。地域で暮らしたい、家に戻りたい、きょうだいのとこに行きたい。それが全くなかったら、一人で生きていけるかどうかを決めなきゃいけない。その意思決定に、わたしたちはかかわる。
 今、精神科病院は新しくなっていて、きれいで食事もおいしくて、至れり尽くせりというところも少なくない。そういうところで暮らして、毎日時間が過ぎていると、「自分の人生はこういうものだ」と思ってしまう人の方が多いと思う。でもそれを「そうじゃないかも」、「自分はもっと違う可能性があるかも」とか、「今ここにいる自分は本当の自分なのかな」と思うとか、看護師の支援で、そういうふうに考えられるようにしなければならない。

-今後の課題は何ですか。

 今は、地域で精神障害者の生活を支援している看護師が病院の中に行く機会は、ほとんどない。地域で見ていた患者さんが入院して、面会に行くことはできるけど、それはそれまでの関係の延長線上のこと。そうじゃなくて、地域で働いている看護師たちが、「わたしたち、ここにいるから、患者さんを地域に帰してもいいよ」と言って病院に入って行くことが、今の制度ではできない。看護師の数は病院の方が圧倒的に多いから、病棟から地域に出向くことが制度の中でまず取り入れられた(精神科退院前訪問指導料)。今度は逆に、退院前訪問を地域の側から病院にやっていくというのをやりたい。早く退院して地域に帰ってこられるように、訪問して「町の中はこうよ。家族はこうよ」と言ってあげる。それが退院に向かっての患者さんの変化につながるようなかかわりを、地域の看護師がやる。そういう働き掛けは、病院の中の看護師にはできないから。

■地域の福祉サービスにも「医療の視点」を

-地域に戻ってきた精神障害者を支えるためにすべきことはありますか。

 わたしは、地域の福祉サービスを行うところにも、医療の視点が必要だと思っていて、そこに看護師を配置すべきだと考えている。
 精神障害者の社会復帰の施設を今、数は変動しているものの、1万人から2万人くらいの人たちが利用している。でも統計的に言うと、その人たちの26%、4人に1人は必ず再入院している。それを「精神障害者は地域で福祉サービスを受けて暮らしていても、4人に1人は再発する」と考えるだろうか。もしかすると、そこにもっと十分な医療提供があったら、4人に1人の再入院が8人に1人になるかもしれないじゃないですか。これは、統計的な有意差や証明はまだできていないから、やってみないと分からない。けれども、わたしは自分の経験を通して、「再発や再入院を防ぎたいから、変化に早く気付く」「病気が悪くなる兆候を把握する」あるいは「外来に通院しているが、薬を飲んでない人を発見する」、このようなことを可能にするためには、医療の経験が必要だと実感している。
 その核となるのが、地域の訪問看護ステーションであり、そこで提供される看護だと考えている。訪問看護ステーションは、必要な医療を地域で提供するための資源としてつくられたものだから、有効に活用できたらいいなと考えている。

遊休農地で「親子地場野菜教室」/秦野

7月12日22時0分配信 カナロコ

 地域農業への理解と食への感謝の心をはぐくもうという「親子地場野菜教室」(秦野市食生活改善推進団体など主催)が12日、秦野市東田原の遊休農地で、親子5組16人が参加して行われた。1カ月前に、植え付けたナスの苗も大きいもので50~60センチに成長、早くも実を付けていた。

 参加者は、畑で「余分な葉を取り、風通しを良くしましょう」との説明を受け、苗木の不要な葉を取る作業から開始。続いて、支柱へ枝の結び付け、雑草の除去、肥料を与えるまでを体験した。途中子どもたちの中には「バッタがいた」などと遊びだす姿も。

 最後に、成長した実をはさみで収穫したが、子どもたちは「大きいのが取れた」「こっちにあった」などと歓声を上げながら切り取っていた。収穫したナスは一度集め、参加者に7~8個ずつ袋に入れ配られた。

 同教室は、2004年度から、夏休みの一日、親子で収穫と調理体験しようと行われてきたが、本年度から6月の植え付けから、7月の栽培作業、そして8月の収穫と調理までを体験する日程になった。同市農産課では「1本の苗木から40~50個収穫できる。また11月ごろまで収穫できるので楽しんでほしい」と話していた。

因縁を超えて仲直り 井伊家現当主らが松陰の墓参

7月10日23時9分配信 京都新聞

 幕末の「安政の大獄」(1858~59年)を主導した大老井伊直弼(なおすけ)ゆかりの彦根市の井伊家現当主、市長らが8月21日から3日間、大獄で刑死した志士、吉田松陰の墓参などで山口県萩市を訪れる。松陰没後150年の歴史的な和解行脚には、人気キャラクター「ひこにゃん」も同行して墓前で追悼。関係者は「因縁を超えて友好交流を始めるきっかけに」と話している。
 訪問するのは、井伊家18代当主で彦根城博物館長の直岳(なおたけ)さん(40)や獅山向洋市長、市が公募で参加を呼びかける市民の使節団約30人。
 墓参は8月21日午後2時過ぎからで、地元団体「松陰先生の墓を守る会」などとともに、松陰の生誕地近くにある墓所で哀悼の意を示す。松陰が高杉晋作ら明治維新の志士を育てた松下村塾を訪ね、22日は彦根市と同様に城下町としてまちづくりを進める萩城下町も見学する。
 両市は今年1月、「歴史まちづくり法」のまちづくりプランが認定された。認定式で同席した際、彦根市長が萩市長に松陰の墓参を打診「歴史的な事実は踏まえながらも、使節団を温かく迎えたい」と快諾された。
 直弼は安政の大獄後、弾圧された水戸藩士らによる「桜田門外の変」(1860年)で暗殺された。彦根市は明治になって100年後の1968年、水戸市と「親善都市」の提携を結んで和解した。
 井伊直岳さんは「立場は違えど日本のことを思い行動したのが、松陰であり、直弼だと思う。志半ばで倒れた先人を弔い、今を生きる市民交流の礎になるとうれしい」と話している。

韓国 盧前大統領の遺骨埋葬 支持者3万人が冥福祈る中

7月10日20時53分配信 毎日新聞

 【ソウル西脇真一】自殺した韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の遺骨が10日、自宅のある慶尚南道金海市烽下に埋葬された。聯合ニュースによると支持者ら約3万人(警察推計)が訪れ、故人の冥福を祈った。

 四十九日の法要の後、自宅そばの墓に遺骨が納められた。「小さな碑を残してくれ」という遺書の通り、墓地には高さ40センチで2メートル四方の石碑が置かれた。盧氏は、不正資金提供事件の捜査が続いていた5月23日朝、自宅裏の烽火山のがけから身を投げた。

マイケル・ジャクソンさん、ネバーランドに埋葬か?

7月10日17時12分配信 CNN.co.jp

ロサンゼルス(CNN) 急死した人気ポップ歌手マイケル・ジャクソンさんが、米カリフォルニア州の自宅「ネバーランド」に埋葬される可能性が出てきた。ジャクソンさん一家の弁護士が埋葬について問い合わせてきたと、州当局が明らかにした。

一方、墓地以外の場所に遺体を埋葬する際には郡の許可が必要で、ネバーランドがあるサンタバーバラ郡は9日、そういった申請はまだどこからも受けていないと述べた。

ネバーランドに埋葬するという案は、兄ジャーメインさんによるもの。一方、父ジョーさんは、ネバーランドへの埋葬を反対しているという。

ネバーランドは「ピーター・パン」に登場する架空の場所。ジャクソンさんは、広大な敷地の自宅に遊園地や動物園をつくって「ネバーランド」と名付け、20年にわたって暮らしていた。

墓地以外の場所に遺体を埋葬するには、まず州への届け出が必要。2ページの書類に必要事項を記入し、400ドルを支払う。その後、埋葬場所がある郡から許可を得なければならない。

最近では故ロナルド・レーガン元大統領が、墓地ではなくベンチュラ郡にある大統領図書館に埋葬されている。

キジ放鳥:卵から育てた野生の4羽を--大崎の高橋さん /宮城

7月11日12時0分配信 毎日新聞

 大崎市田尻のビオトープ園「メダカの郷」主宰者の高橋孝憲さん(61)は10日、卵の時から育てた野生のキジ4羽を近くの雑木林に放鳥した。いずれも元気に約20メートル羽ばたいて林内に消えた。
 4羽は5月中旬に高橋さんの知人が同市古川の田のあぜで雑草の刈り払い中、雌の親鳥を誤って死なせてしまい、高橋さんの所に持ち込んだ卵9個の一部。高橋さんが飼育している雌のナゴヤコーチンが抱卵し6羽がふ化。2羽は死んだが、4羽が育った。【小原博人】

高架下 四季折々の彩り 大津の男性、花を育てて14年間

7月11日10時59分配信 京都新聞

 大津市一里山5丁目の京滋バイパス高架下の一角で、近くに住む竹内博雄さん(62)が14年にわたって花を育てている。四季折々の花を咲かせ、今では近くの住民や高架下のバス停利用者らに親しまれている。
 雑草の茂った敷地にごみのポイ捨てが絶えなかったため、趣味の園芸の技術を生かそうと1995年、敷地を管理する国の了解を取り付けて始めた。
 高架下にある長さ約20メートル、幅約70センチの細長い敷地に自費で購入した苗を植え、毎日、朝夕の水やりと手入れを欠かさない。現在は高さ約1メートルのカサブランカが見ごろを迎え、ベゴニアの白い花も一帯を彩る。夏にかけてユウガオも順次、花を開かせる。
 通勤や病院へ通う住民らがバスを待つひととき、花をのぞき込み、色合いや香りを楽しんでいる。
 つぼみを切り取られたり、空き缶を放り込まれたこともたびたびあったが、3年ほど前から自然となくなったという。竹内さんは「『みんなで楽しもう』などと声に出して注意を呼び掛けなくても、手入れを続けることで分かってくれたのだと思う」と話している。