駅舎や地域へ清掃奉仕 朝桜中生ら、ことしも活動

 東近江市の朝桜中学校福祉会と地域住民による恒例のボランティア活動「地域・駅舎清掃」が蒲生地区一帯であり、生徒ら300人が参加した。

 17年ほど前に地域の玄関口、近江鉄道・桜川駅の悪質な落書きとごみの散乱に心を痛めた生徒有志が落書きをペンキで塗り直し、ごみを拾い集めたのがきっかけで活動は始まり年2回、6月と12月に実施している。

 福祉会と運動部、吹奏楽部の生徒、住民らが午前8時から同駅をはじめ学校周辺の公園、河川敷など10カ所ほどでごみ拾いや雑草の処理に汗を流した。昨年あった駅舎周辺の落書きは今回はなく、生徒をほっとさせた。

 福祉会長の若宮悠希君は「みんなで作業をすると駅舎周辺がどんどんきれいになり、うれしい。伝統ある活動はすごいと思うし、これからも続けていきたい」と話していた。

 (前嶋英則)

色とりどりに堤防のアジサイ…徳島・園瀬川道路沿いの670メートル

徳島市八万町の園瀬川堤防道路沿いでアジサイが見頃になり、ドライバーの目を楽しませている=写真=。

 住民ボランティアグループ「園瀬川の清流を守る会」が、雑草に覆われていた堤防を整備し、2000年頃に苗木を植えて育てた。今では1600株ほどになり、道路沿い約670メートルにわたって薄いピンク、紫、水色の花々を咲かせている。同会は「今年は特にきれいなので見に来て」と勧めている。

 友人と見に来た同市中吉野町の主婦、青木リツ子さん(62)は「今年はきれいなので初めて車から降りて見に来た。いろんな色があってきれい」といい、カメラを向けていた。

(2010年6月21日 読売新聞)

「土手ニラ」料理 腕を競う

江戸時代、八東川の度重なるはんらんに心を痛めた松田勘右衛門(別名・東村勘右衛門、1699~1740)が石組みの土手を築き、飢饉(き・きん)に備えて植えたとされるニラ「勘右衛門土手ニラ」を使った料理コンテストが、八頭町であった。参加者は腕によりをかけて、思い思いのニラ料理をこしらえた。

 約600メートルの土手が残る東地区の住民らが2007年に作った町おこしグループ「勘右衛門土手ニラ保存会」(21人)と町が初めて企画した。参加者は市販品より香りが強い野生のニラで調理。審査員7人が応募作5点を食べ比べ、伯耆町の長谷川正さんの「ニラホルモンの卵とじ」が最優秀賞に選ばれた。

 保存会の小畑一範代表は「ニラの栽培は雑草との闘い。草取りを続けてニラを増やし、勘右衛門土手を約270年前の姿に戻したい」と話していた。(中田和宏)

農政に翻弄され不信/戸別所得補償

水を張った水田に田植え機が行き来し、次々に苗の緑で埋まっていった。伊勢原市三ノ宮の塩川克博さん(59)は15代続く農家だ。

 「米はぜんぜんもうからないよ」。あぜ道の雑草を取り払いながら、そうつぶやく。今年度始まった農業者への「戸別所得補償モデル対策」は、すでに申し込み済みだ。

 モデル対策は、事業に参加する米農家を対象に、10アール当たり1万5千円が交付される。県農政課は県内の対象農家を約8千戸ほどと見込む。申請期間は4~6月末。農林水産省のまとめでは、5月末時点の県内の申請者は235件にとどまっている。

 戸別補償制度によって得るお金は米の出来や価格などにもよるが、塩川さんは交付金の金額を、ほぼ定額部分だけの数万円になりそうだと予想する。「数万円でももらえれば機械の燃料代の足しになって、そりゃあうれしい」。そう話す一方で、「全国一律でばらまくのはどうか。票稼ぎの政策だ」とも言う。

 塩川さんが高校生だったころ、家の水田は100アールあった。それが今では生産調整などの影響で40アールに。この規模では稲刈り機など数百万単位の機械を導入するのは割に合わない。友人に10アールあたり3~4万円を払って作業をしてもらっている。肥料や機械の燃料代を差し引くと米での収支はとんとんだという。

 収入の9割はブドウや梨などの果物。東京や横浜など大消費地に近く、果物類は宅配の注文や直売所で品切れになるほど人気だ。

 首都圏に位置する神奈川は耕作面積は少ないが、気候が安定していて果物でも野菜でも、多様な作物を栽培できる強みもある。塩川さんの周辺の農家も米専門の農家はほとんどおらず、単価の高い果物などを作って暮らしている。東北地方の大規模稲作農家とは経営形態が違う。それでも米作りをやめないのは「米は農家の基本」という自負だ。

 1・5ヘクタールの水田で米作りをしている別の農家の男性(49)は「時の農政に翻弄(ほんろう)されてきた」と嘆く。昔から自民党を応援しているが、「米が余った時には『米作りを休め』。冷害の時には生産調整のたがを外した」と指摘。民主党についても「農政は今も場当たり的で、所得補償はその最たるもの。財源は大丈夫か。来年も制度を続けられるのかどうか」と疑念を抱く。

 2人の農家は政治を見限ったわけではない。塩川さんは「口蹄疫(こうていえき)の被害が出た宮崎県の酪農家のことを思うと、自分のことのようにつらい。私たちじゃなく、本当に困っている人のところにお金を回す仕組みが必要だ」と訴える。また、男性は「農業を継ごうとする若者の背中を押すような政策を」と注文をつける。

(須田世紀)

   *  *  *

 昨年の政権交代によって、仕事や暮らしにかかわる多くの政策が変わった。農業、医療、子育て、公共事業――。県内の現場では、変化をどう受け止め、何が課題となっているのか。各地から報告する。

◇キーワード・・・ 戸別所得補償制度

 農家の経営安定を目的に、米など基幹農産物の市場価格が経費を下回った場合、赤字部分を政府が補償する制度。昨夏の衆院選で民主党が掲げたマニフェストの目玉の一つで2011年度から本格実施の予定。今年4月からは米農家を対象に「モデル対策」がスタート。10アールあたり1万5千円が助成される「米戸別所得補償モデル事業」と、麦や大豆、飼料用米など転作作物ごとに定額助成する「水田利活用自給力向上事業」の二つで構成する。

雑草掘り起こし高性能な除草機

 田んぼの草取りにかける手間を省力化しようと、美里町の農機具販売店「赤羽農機」と涌谷町の農家がタイアップし、安価で高性能な除草機を開発した=写真=。

 農薬の使用を減らす環境保全米を栽培するには、除草が大きな課題だ。そこで、開発した除草機には、中古の乗用田植え機の後ろに太鼓状のローターと2本のワイヤを取り付けた。走行の勢いでローターが回り、列の間(条間)の雑草を根こそぎ掘り起こし、苗と苗の間(株間)はワイヤで草を取り除く。土をかき回すことで酸素が供給され、稲が強く根を張る効果もあるという。販売価格は、市販の乗用除草機の半額以下の1台89万円。

(2010年6月16日 読売新聞)

【10年前のきょう】南北首脳会談 実質論議は先送り

□6月14日=1面、国際面、社会面

 朝鮮半島の分断史上初の南北首脳会談が平壌で始まった。韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記による初会談。南北間の問題解決を図る必要性を確認し、ホットライン設置の必要性で一致した。金総書記は「歴史に堂々と記録される日」と語ったが、雑談的な対話に終始。北朝鮮の朝鮮中央テレビは「首脳会談」とはせず「宿舎で談話を交わした」と報じた。

五所川原市長選あす告示 現新、保守対決か

 五所川原市長選は6日告示される。今のところ立候補を表明しているのは再選を目指す平山誠敏氏(69)と新顔で県議の櫛引ユキ子氏(56)で、一騎打ちとなる公算が大きい。自民、公明両党の推薦を受ける現職と自民党を離党した県議の保守対決となり、激戦が予想される。投票は13日で即日開票される。(鈴木友里子)

 現職の平山氏は前回、健康問題を理由に任期途中で辞職した前市長の市政継承を掲げ初当選。「財政再建をあと4年で軌道に乗せたい」として、今年1月の会見で立候補を表明し、足固めに入った。ところが、4月に突然、当時、自民党五所川原市支部長だった櫛引氏が「市政に市民の声が届いていない」と、市長選に名乗りをあげた。

 明確な争点がない中、平山氏は財政再建や、つがる西北五地域の病院機能再編をめざし、同市に2013年度に完成予定の中核病院(仮称)建設などの実績を強調する。

 一方、櫛引氏は小中学生の医療費の無料化など医療福祉に重点を置く。また農家との対話による農業政策の決定など、市民の声を吸い上げる制度作りに力を入れるという。

 6月2日現在の選挙人名簿登録者数は5万661人。(鈴木友里子)

◆合併後、街づくりに不満・不安◆

 旧五所川原市と2005年に合併した旧金木町。町でたった一つの体育館だった金木トレーニングセンターは更地となり、6月初旬に現地を訪れると、跡地は雑草と砂利がむき出しになっていた。

 「雪深い冬場にグラウンドゴルフを練習する施設がなくなった。みんな使っていたんだ」。近くに住む沢田嘉昭さん(80)はこう嘆いた。

 同センターは、小中学生のクラブ活動や主婦たちのバレーボール、お年寄りのグラウンドゴルフの練習場として、年延べ1万2千人が利用していたという。だが、老朽化を理由に市は昨年、解体した。

 市によると、解体費は約5千万円。建て替えには1億円以上かかるという。財政再建中の市は公共工事を大幅カットしており、新築計画はまだない。沢田さんは「市中心部は大型公共事業をしている。市には地域格差のない取り組みを求めたい」と話す。

 同じころ、JR五所川原駅前ではトラックや重機がひっきりなしに往来し、下水道や配線工事の音が響いていた。

 総事業費約69億円をかけ、市が04年度から始めた「土地区画整理事業」だ。観光施設「立佞武多(たち・ね・ぷ・た)の館」を中心に4・4ヘクタールで道路や公園を再整備し、百貨店閉店などが続いた中心市街地の再生を目指す。

 費用の多くは国の補助金だが、市の負担も約14億円。地権者が元の土地に店舗を建て直すのを渋る動きもあるといい、周辺住民から「多額の税金を使って、町がさらに空洞化するだけかも」(会社役員女性)と不安の声もあがる。

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 かつて、市の財政難は深刻だった。06年度決算で、貯金にあたる市の財政調整基金は約10万円まで激減。07年度以降、市単独の補助事業など約1千の事業を見直すなどし、約180事業(年7500万円分)を廃止や休止にした。07年度決算は黒字に転換し、同基金も09年度末には5億5千万円に戻ったという。

 市長選に立候補する新顔の櫛引ユキ子氏は「削られすぎた予算も多く、旧市浦村、旧金木町には不満の声も多い。格差のないバランスのとれた行政運営が必要だ」と訴える。中心部の区画整理事業は「今のままでは空洞化を招く。市は土地の利用策をまだまだ考えていない」という。

 一方、再選を目指す平山誠敏氏は「旧3市町村の融和を図りながら発展の礎を築いてきた」と4年間の実績を強調する。そのうえで「重要なのは財政基盤の確立で、バラマキ政策は許されない」とし、金木トレーニングセンターの再建は「もう少し財政に余裕が出てきたら」と話す。

水と緑 児童の教科書/三田

◆アイガモ農法実地に/本庄小
 総合学習の一環として環境について学んでいる三田市立本庄小学校の3年生14人が3日、同市須磨田の農業酒井毅さん(73)の水田にアイガモ23羽を放した。放鳥後、子どもたちは酒井さん方でアイガモ農法について話を聞いた。

 酒井さんは「三田合鴨(あい・がも)稲作会」(眞造達夫会長)の前会長。1998年から本格的にアイガモ農法に取り組んで来た。今では11農家が約10ヘクタールで栽培している。

 酒井さんは「農薬や化学肥料を使わない安全なお米を作っています。今は昔と同じようにホタルやトンボが戻ってきた」と子どもたちに語りかけた。JA兵庫六甲三田営農総合センターの営農相談員、近藤美都さん(29)は子どもたちの質問に答えて「アイガモは雑草を食べるしフンは肥料になります」などとアイガモ農法の長所を説明した。

◆メダカお引っ越し ビオトープへ/武庫小
 三田市立武庫小学校で2日、プールにいるメダカなどを校内のビオトープへ移す引っ越し作業が行われた。5、6年生でつくる魚委員会の15人が水を抜いて水深を浅くしたプールに入り、網やひしゃくで捕まえた。子どもたちはヤゴを見つけて歓声をあげていた。

 同小では去年、プールに水草を入れ、児童たちが水中の生物の観察をしてきた。メダカは、水草に付いてきたとみられる卵が孵化(ふ・か)して成長したという。ギンヤンマのヤゴが羽化して飛び立つ様子を目撃したという子もいる。

 この日は県立伊丹北高校の谷本卓弥教諭や三田市福島の同市有馬富士自然学習センターの学習指導員らが訪れ、作業を指導した。谷本教諭は、水草が光合成で酸素を出すことやメダカなどの隠れ家になることなどを説明した。

 同小は去年、「全国学校ビオトープ・コンクール2009」で最高位の文部科学大臣賞を受賞しており、今後これらの活動を財団法人日本生態系協会に報告する。

普賢岳 惨事伝える柿の木

43人の死者・行方不明者を出した雲仙・普賢岳の大火砕流から、3日で丸19年。現場となった島原市北上木場町では、被災しながらも生き延びた柿の木4本が毎秋、実を付け「生き証人」として惨事を伝えている。かつての住民は「いつまでも残したい」と、柿の木の世話を続けている。(篠原太)

 被災前、同地区には約80世帯があり、ほとんどの家で敷地内や畑に柿の木を植えていた。収穫後、家族総出で干し柿を作り、正月前には行商に出かけたという。だが、何度も火砕流に襲われ、民家や畑は焼失。住民は戻れなくなり、土地は国に買い上げられ、砂防工事が始まった。

 柿の木が見つかったのは、噴火終息後の1995年秋。元住民らでつくる「上木場災害遺構保存会」の上田実男会長(76)らが、雑草が巻き付いた柿の木に黄色い実を発見した。火砕流を受けた部分は真っ黒に焦げていたが、残りの部分から新たに芽が出て実をつけるまでに成長していた。

 「よく生き残ってくれた」。上田さんらは除草し、倒れないように添え木をして樹木医に治療を依頼。焦げた部分は除去され、今では幹がえぐられた状態になっているが、春には枝一杯に葉を付け、秋にはたくさんの実がなるようになった。

 柿の木は、かつての生活道路(約400メートル)沿いに4本残っている。2007年に工事用の道路が併設されたため、今後も生活道路を残していきたいと、上田さんが同年に「柿の木坂」と命名し、看板を設置した。「土石流で埋まるなどし、残っている当時の生活道路はここだけ」と振り返る。

 同町で生まれ育った佐原トキエさん(70)(島原市)は、今でも実を収穫しては干し柿を作っている。「懐かしく、どうしても行きたくなるんです」と話している。

     ◇

 同市は3日を「いのりの日」と定めている。多くの小中学校では、災害を語り継ぐ集会が開かれ、犠牲者に鎮魂の祈りをささげる。

 午前8時半から午後6時まで、仁田町の仁田団地第一公園にある「犠牲者追悼之碑」、午前9時から午後5時まで、平成町の島原復興アリーナそばの「消防殉職者慰霊碑」に、それぞれ献花所が設けられる。

 火砕流が発生した午後4時8分には防災行政無線を鳴らし、市民が黙とう。平成町の雲仙岳災害記念館では午後7時から、約1000個のキャンドルに火をともす「いのりの灯(ともしび)」が行われる。

(2010年6月2日 読売新聞)

ゴミゼロ目指せ

大浜海岸で子どもたちが / 袋井用水で警官と住民が

「ゴミ0の日」の30日、県内各地で住民や環境保護団体メンバーによる清掃活動が行われた。

 ウミガメの上陸シーズンを迎えた美波町の大浜海岸では、町立日和佐小、同中の子どもたち、徳島海上保安部の美波分室員ら計約300人が、清掃と漂着したゴミの実態調査をした。

 子どもらは12班に分かれ、延長約500メートルの同海岸の砂浜に流れ着いた木切れや発泡スチロールの破片を分別しながら拾い集め、ゴミ袋に入れた。記録係の児童は、ゴミを家庭から出たもの、海や川で使われたものなどに分類して記録用紙に書き入れていた。

 同海岸はウミガメの上陸する美しい浜として知られ、清掃活動も活発。この日は、大きな漂流物はほとんどなかった。同分室はデータをまとめ、環境啓発活動の参考資料にする。

 徳島西署の若手警察官グループ「大志塾」は、徳島市鮎喰町を流れる県指定文化財「袋井用水」で、今年度初めて住民らと清掃活動をした。

 年数回、一緒に活動しており、今回は住民の「袋井を美しくする会」と大志塾のメンバーら計約30人が小舟に分乗し、熊手で川の中を探り、水草やペットボトルなどを次々すくい、船上はすぐゴミでいっぱいに。川岸や同用水をまたぐ袋井橋では雑草を刈り、ゴミや草計約2トンを集めた。

 大志塾塾頭の桑原浩一巡査長(24)は「以前に比べたらゴミは減ったが、空き缶などのポイ捨ては絶対にやめてほしい」と話していた。

(2010年5月31日 読売新聞)