着物姿で児童が茶摘み 矢掛

岡山県矢掛町里山田の山田小で14日、初夏の訪れを告げる恒例の茶摘み祭りがあった。児童75人や保護者たち計約200人が運動場隣の茶畑(約7アール)で新茶を収穫した。

 4~6年生は、女子がかすりの着物に姉さんかぶり、男子は法被姿に手ぬぐいの伝統的ないでたちで参加。柔らかな新芽を慣れた手つきで摘み、竹ざるに入れた。午前中だけで55・8キロを取った。

 山田小の茶畑は1929年ごろに静岡産の種をまいた。地区住民も協力して雑草を取り、肥料を施すなど管理を続けている。薬師寺重利校長(54)は「4月が寒く心配したが、連休後に暖かくなり例年並みに育った」と話した。摘んだ葉は井原市美星町の工場で加工。地区住民と味わうほか、老人ホームのお年寄りに児童の手紙を添えて贈る。

久万川南岸の花壇:住民の世話で見ごろ--高知 /高知

住民が丹精した久万川南岸沿い(高知市吉田町)の花壇で、キンケイギクやミヤコワスレなどの花が見ごろを迎えている。川面に白や赤、黄色が映え、通行人らの目を楽しませている。

 「堤防に彩りを」と20年ほど前に、当時の町内会長が堤防の斜面に花を植えたのが始まり。住民の高齢化が進み、育てている人も年々減少。現在は約10世帯が毎朝、水やりをしたり、雑草を抜いたりしているという。

 近くの徳弘晃輝ちゃん(5)は、キンケイギクを見て「めっちゃキレイ!!」と大はしゃぎ。花を踏まないように友達と堤防沿いを駆け回っていた。

 地元の女性(68)は「昔はもっと色とりどりの花が咲いていたんだけどね」と話す一方で、「今でもカメラで写真を撮ったり、花を見に来てくれたりする人がいるのはうれしい」と笑顔を見せた。【倉沢仁志】

タバココナジラミ:9市町村で確認 ウイルス運び、トマトに生育障害 /福島

◇いわき、南会津で発症例
 トマトの生育障害を引き起こす「トマト黄化葉巻(おうかはまき)病」のウイルスを運ぶタバココナジラミの確認地域が県内で拡大している。既に9市町村で見つかり、いわき市と南会津町では発症例もある。県や市町村が注意を呼び掛けているが、トマトは家庭菜園で栽培されることも多く、指導や注意喚起が行き届かない。【関雄輔】

 県循環型農業課によると、タバココナジラミは体長約0・8ミリのアブラムシに近い昆虫。以前から国内にいたが、ウイルスを運ぶ別のタイプの外来種が県内では06年にいわき市で初めて見つかった。これまでに県北を除く全地域で確認されている。

 ウイルスを持ったものが寄生すると、葉が黄色く変色し、巻いたり縮まったりなどの症状が現れる。開花はしても実がならない。07年10月にいわき市、作年8月に南会津町で感染が確認されたが、早期の発見のため、周辺への拡大はなかった。

 外来のタバココナジラミは2種類おり、県内では農薬に強い「タイプQ」が多い。雑草や花卉(かき)にも寄生する。寒さに弱く、冬季はハウスなどで越冬しているとみられる。

 県では▽苗を植える際に有無をチェック▽防虫ネットなどによる防除▽感染株は抜き取り、ビニール袋で密封▽栽培施設周辺の雑草除去--などを農家に求めている。

 同課は「大発生してもおかしくない。地域ぐるみで拡大を防ぐ取り組みが必要。家庭菜園でも異状なトマトがあれば連絡してほしい」と話している。

遺伝子組み換えナタネ:港から国道沿いに自生 愛知で確認

除草剤耐性を持つよう遺伝子が組み換えられたセイヨウナタネ(GMナタネ)が輸入後、愛知県知多市のふ頭から同県弥富市にかけての国道沿いなどに自生しているのをGMナタネの調査に取り組む市民団体「遺伝子組み換え食品を考える中部の会」が新たに確認した。同会は「移送ルートの一部に落ちたものが育ったのではないか」と指摘している。人工的に遺伝子が組み換えられた外来種のセイヨウナタネの定着は、日本の生態系に影響を与える可能性が指摘されている。【福島祥】

 同会が今年4月11日に調査したところ、知多市北浜町のふ頭でGMナタネの自生地を確認した。セイヨウナタネは国道247号を北上、県道や国道23号を経て弥富市三好まで計17カ所に点々と自生。採取して検査した結果、8カ所は除草剤耐性を持つGMナタネであることが分かったという。

 日本貿易統計(08年)によると、年間231万トンのナタネが主に油の原料としてカナダなどから輸入されているが、GMナタネの割合は不明だ。農民連食品分析センター(東京都)によると、日本に自生しているGMナタネは、港から製油工場などへの輸送中にトラックからこぼれ落ちるなどして育ったとみられる。

 日本に「侵入」したセイヨウナタネの中には、本来一年草のはずが多年草化したり、茎が太くなるなど巨大化したものもある。同じアブラナ属の植物と交雑し奇妙な姿を見せるものもあるという。

 同会は昨年10月、津市の国道23号沿いの空き地で、ナタネのような黄色い小さな花に、ブロッコリーのような葉を持つ植物を見つけた。同じ空き地には、カブや小松菜のような葉を持つ個体も発見。近くで見つかったセイヨウナタネを含め、いずれからもGMナタネの遺伝子が確認された。調査に参加した四日市大学の河田昌東(まさはる)非常勤講師(環境科学)は「自生したGMナタネが世代交代して増えた結果、突然変異や交雑など、国がGMナタネを承認した時には想定しなかったことが起きている」と指摘している。

 【ことば】遺伝子組み換え(GM)ナタネ

 農水省は04年、茨城県・鹿島港周辺でGMナタネが自生していると発表した。その後、名古屋港や四日市港でも自生が確認された。「交雑によって除草剤が効かない雑草が現れたり、食卓の野菜の中に入ってくる可能性もある」との懸念が指摘されている。環境省は「生態系への影響はない」とするが、毎年、主要な輸入港周辺などで分布状況を調べている。

庭いっぱいの春満喫

六戸町柳町の農業小林福蔵さん(84)方で、自宅の斜面に敷き詰めたシバザクラが見頃を迎えた=写真、青森読売写真クラブの西舘東城さん撮影=。一面を彩った鮮やかな白やピンクの花が、訪れる見物人を楽しませている。

 小林さんは1980年頃、雑草で覆われていた斜面を整備し、シバザクラの植栽を始めた。土壌改良に8年ほどかけ、近年は遠方から見物人が訪れるほど評判のシバザクラに育った。幅4メートル、長さ約80メートルにわたって咲き誇る花々は、花のじゅうたんさながらだ。

 小林さんによると、今年は天候不順で例年より開花が遅れ気味で、このためしばらくは色鮮やかな花が楽しめそうだ。

(2010年5月11日 読売新聞)

芽が出たよ「宇宙桜」

■若田さんと「きぼう」滞在 北杜に帰還した種

 宇宙飛行士の若田光一さんとともに宇宙で過ごした、北杜市の国指定天然記念物で日本三大桜のひとつとされる「山高(やま・たか)神代(じん・だい)桜」の種が、同市武川町宮脇の元市職員、三枝基治さん(60)の自宅で発芽した。「宇宙桜」の開花まであと7~8年かかるという。(田中聡子)

 種は2008年6月、地元の小学生が採取。同年11月、若田光一さんと一緒にスペースシャトル・エンデバーで宇宙に飛び立ち、約8カ月間、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」で保管された。日本各地の名木の種を「宇宙旅行」させ、地上で花開かせる企画の一環で、市に戻された種のうち118粒を神代桜に詳しい三枝さんが預かり自宅で育てていた。

 採種から種まきまでの時間が長かったうえ、今年は春になっても雪が降った異常気象。三枝さんは水やりの量を丁寧に調整したり雪よけのこもをかぶせたり、試行錯誤を重ねた。4日に芽が出ているのを見つけた時、「雑草じゃないだろうかと、何度も確認しました」という。

 今後は8月ごろ、大きめのポットに移し替えて、しっかりと根をはらせる予定だ。

トサシモツケ 四万十川彩る

 四万十市の四万十川の岸辺で、トサシモツケが群生して開花し、春の清流を白く彩っている。

 同川流域と徳島県の那賀川、勝浦川流域のみに分布するバラ科の落葉低木。増水で冠水する日当たりのいい岩場に生え、4、5月に白い小花を密集して咲かせる。

 群生地は8年前に市内の住民が見つけ、周囲の雑草や、増水時に掛かった流木やゴミを除去するなどして保護。今年も、長さ約70メートル、幅2~5メートルにわたり、高さ1~2メートルの数百本が満開になり、陽光を受けて川風に揺れている。

 訪れた市民は「すごい群落」と驚いていた。世話をする住民は「長い間、大きな洪水にも耐えてきたようだ。保護できないものか」と話していた。

(2010年5月8日 読売新聞)

微笑仏の物語:木食白道の足跡をたどる/中 自由奔放に削り続け /山梨

<木食白道(もくじき・びゃくどう)の足跡をたどる>

 大菩薩嶺(だいぼさつれい)のふもとに広がる甲州市塩山上萩原の上原(わはら)地区は、甲府盆地を挟んで南アルプスを見渡す景勝地だ。20軒ほどの集落の外れに地蔵堂があり、木食白道作の子安地蔵菩薩(ぼさつ)像が安置されている。高さ228センチ。1本の木を削って作られ、やはり胸に小さな子を抱く。

 白道はここから西に約300メートルの場所で生まれた。現在建っている古民家は、骨組みの形などから白道の生家そのものの可能性があるとされる。

 今、ここには米国人の翻訳家、松島ケンさん(48)と妻美佳子さんが暮らす。夫妻はこの家を修復し、02年10月に東京都内から移住した。「ありがたいお坊さんゆかりの土地だと、家を購入する前から聞いていました」と松島さんは流暢(りゅうちょう)な日本語で語る。

 白道の存在を示すのは、敷地の外れにある風化した墓石だ。わずかに「木食」の文字を読み取ることができる。松島さんは「白道の親族が建てたそうです。今も歴史好きの人が『墓石を見せてください』と来るので、たまに雑草を刈ったりしていますよ」と笑顔で話してくれた。

   ◇  ◇

 白道が生まれたのは1755(宝暦5)年。現在も地区に多い小野姓で、幼名は千蔵だった。貧しく病身だった父は、妻に家督を譲り、諸国巡礼に出た。6歳だった白道も父と共に故郷を旅立った。

 白道は19歳で身延出身の木食僧・行道(ぎょうどう)に出会い、師と仰いで共に旅をすることになる。「木食」とは、米や麦などの五穀や塩を断つ修行「木食戒」を行った僧侶のこと。最期は生きながら地中に入り即身仏(ミイラ)になる苦行だ。

 白道は行道と1778年に北海道に渡り、仏像作りを始めた。県立博物館学芸員の近藤暁子さん(37)は「当時の北海道は飢饉(ききん)が激しく、真っ先に犠牲になる子供たちを救いたいと感じたことが、子を抱いた仏像というモチーフにつながったのかもしれません」と話す。

 3年後、白道は行道と別れて塩山に戻り、母親と再会する。上原の子安地蔵、上条集落の百観音菩薩像は共にこの時期の制作で、白道作品としては最大級だ。その後白道は現在の東京・多摩地区や長野県などを回った。人々の求めに応じて大小さまざまな木像を作っては与え、1825(文政8)年に71歳で現在の大月市で病死したと伝えられる。

   ◇  ◇

 「まるで口笛でも吹きながら彫ったかのように、軽やかかつ自由奔放ですね。それでいて神がかっている」と甲州市教委文化財担当の飯島泉さん(44)は白道の作風を解説する。

 行道の微笑仏は、大正期に民芸研究家の柳宗悦による研究で広く知られる存在になったが、白道は小型の作品が大量にあるために全容が把握されず、近年でも評価が定まっていない。

 「寺の本尊になる行道の作品と異なり、白道は民衆の求めに気楽に応じて、何でもぱっぱと削っていたという感じでしょう」と飯島さんは推測する。白道は現世利益の神である恵比寿や大黒天像なども作ったほか、これらの像を大量生産できるよう定型化した。

 その結果、塩山には多くの民家に微笑仏が存在する「全国的にも珍しい」(飯島さん)地区ができた。旧家を訪ね歩くと、それぞれの物語を耳にすることができる。【中西啓介】

長谷川が負けた!4回TKO V11失敗に悔し涙…WBC世界バンタム級戦

◆報知新聞社後援 ワールドプレミアムボクシング ダブル世界戦 ▽WBC世界バンタム級タイトルマッチ ○フェルナンド・モンティエル(4回2分59秒 TKO)長谷川穂積●(30日、東京・日本武道館) 長谷川が負けた―。WBC世界バンタム級王者・長谷川穂積(29)=真正=が、3階級制覇のWBO(日本未公認)同級王者フェルナンド・モンティエル(31)=メキシコ=に4回2分59秒TKO負け。主導権を握りながらラウンド終了間際に左フックを浴び、連打から逃れられずに無情のストップ。世紀の王者対決で王座陥落した。連続防衛記録は10、現役最多だった連勝は25で止まった。長谷川は階級を上げず、モンティエルとの再戦を希望した。長谷川の戦績は28勝(12KO)3敗。(観衆1万1000人)

 ラウンド終了10秒前を告げる拍子木が悲劇の合図だった。4回2分52秒。一瞬のスキだ。モンティエルの振りの大きな左フックがついに長谷川のほおをとらえると、ロープに押し込まれて動けない。左右のフックを浴び、左アッパーでアゴが飛ぶ。計15連打。信じがたい光景に悲鳴がこだました。「止められて何でかな、と思った」。気付けば、負けていた。

警戒していたパンチにやられた。1回に一発だけ食らった左フックで右の奥歯がぐらついた。「普通のパンチじゃない」。それでも相手の左をほとんど見切り、左ストレートの有効打でペースを握っていた。まだ4回戦ボーイだった01年5月20日以来の黒星。初のKO負け。「10秒(の音)が聞こえて気が抜けた」と自戒するように振り返った。

 コンディションは最高だった。減量もうまくいった。最近の世界戦と違ったことは、自信があったことだ。前回のペレス戦は「勝てると思われた時ほど気を張る」と一切の油断がなかった。今回は戦前に「相手のレベルを上回れる」と話し、山下正人会長(48)も6連続KO防衛を描いていた。リラックスと気のゆるみは紙一重だった。

 5年前の4月。同じ日本武道館でウィラポンを下し、24歳で頂点に立った。当時は時計店でバイトする兼業王者。中古自転車でジムへ通っていた原点を思い起こし、王者対決に「雑草魂」とテーマを決めたはずだった。敗戦後の控室。ジム移籍の苦難もともに乗り越えてきた山下会長が「俺の責任」と話すと、我慢できずにタオルで顔を覆った。

ここで終わるわけにはいかない。涙をぬぐった王者は「できれば再戦したい」と再起の希望を口にし、山下会長も「バンタム級で勝負したい」と即座の階級転向は否定した。長谷川の世界戦をプロモートする本田明彦・帝拳会長も「協力したい」と話し、米国、メキシコで再戦する可能性も出てきた。

 長谷川には「35歳で王者」という目標がある。昨年引退した元世界4団体スーパーミドル級王者のジョー・カルザギ(英国)は25歳の初奪取から11年後にグラブを置いた。「カルザギのように10年、トップにいたい」。まだ折り返したばかりだ。

 この日のリングの興奮が、長谷川に火をつけた。目を真っ赤にしながら「楽しかった。駆け引きが面白かった」と世紀の一戦に感謝し、最後は「試合に満足しています」と締めた。再び熱狂の渦へ戻るため、長谷川穂積は必ずエースの称号を取り戻す。

 ◆長谷川 穂積(はせがわ・ほづみ)1980年12月16日、兵庫県西脇市生まれ。29歳。99年11月、プロデビュー。2003年5月に東洋太平洋バンタム級王座獲得、3度防衛。05年4月にWBC世界バンタム級王座獲得し、同年からの2年連続など年間表彰最優秀選手(MVP)を計4度受賞。07年10月に千里馬神戸ジムから真正ジムに移籍した。家族は泰子夫人と1男1女。168・5センチの左ボクサーファイター。