横浜大空襲から65年 平和考える 華僑総会名誉会長・曽さんが思い語る

8000人以上が死亡、31万人が被災したとされる横浜大空襲から29日で65年。横浜中華街の復興とともに歩んできた横浜華僑総会名誉会長の曽徳深さん(70)は、平和への願いを込め、これまであまり語ることがなかった自らの戦争体験を語り始めた。 (細見春萌)

 一九四五年五月二十九日は、よく晴れた日だった。午前九時二十分ごろの大空襲に、「火が来ているぞ」。住んでいた中華街近くの防空壕(ごう)の戸をたたく音に、慌てて外へ飛び出した。夜間でなく、昼間の空襲は初めて。父は仕事で不在。母と姉二人、三歳の弟と必死に山下公園まで走った。

 翌日、近くの炊き出しは「焦げ臭いおにぎりを食べた」とおぼろげに覚えている。山下公園から中華街一帯は、見渡す限りの焼け野原。ニューグランドホテルや県庁など一部の建物だけが残っていた。食べものはなく、雑草を摘んでスープにした。おいしかった。

 終戦後、中国が連合国の一員だったため中華街には、物資は比較的潤沢に配給された。小麦粉や砂糖を使って、トタン造りの粗末な小屋の前で両親がドーナツを揚げて売ると、長蛇の列ができた。街は、食料を求める客でにぎわいを見せた。

5月に「ベニトンボ」確認 四万十市・中筋川沿い

東南アジア、台湾、九州などに生息する熱帯や亜熱帯性の「ベニトンボ」(体長4センチ)が25日夕、四万十市荒川の中筋川沿いで確認された。近年、県西部で目撃情報が相次いでいるが、大半が秋に見られており、この時期では珍しいという。

 同市の市民団体「トンボと自然を考える会」会員で元市職員の山崎憲男さん(62)(同市有岡)が、釣りをしていて1匹を見つけた。田んぼに近い水路脇の雑草で、鮮やかな紅色の羽を休めたり、縄張りをするように水辺の周辺を飛び交ったりしていた。

 山崎さんはかつて、三原村の池や、四万十市の横瀬川と四万十川河川敷の池で目撃しているが、いずれも10月だったといい、「5月に見られるのは、県西部でも個体数が増え、定着している証し。近くで羽化した可能性が高い」と話している。

 ベニトンボは、全身が紅色で、黒い尾の先、胸部の黒いしま模様が特徴。九州の広い範囲で定着し、四国では2001年に大正町(現・四万十町)で初めて確認。その後、四万十川本流、土佐清水市でも目撃されている。地球温暖化の影響で分布地域が北上しているとの見方もある。

(2010年5月28日 読売新聞)

簡単な屋上緑化注目…鳥取・岩美の種苗会社が開発

雨水だけで育つ「常緑キリンソウ」を使い、鳥取県岩美町の種苗会社「フジタパラダイスパーク」が開発した屋上緑化システムが、全国的な注目を集めている。直径20センチ、長さ1メートルの筒状の袋を並べる簡単な方法が特長だ。

 水を通す特殊な素材の袋に、キリンソウと土を入れて並べるだけ。雑草や土砂の流出なども避けられるうえ、1袋が5キロと軽いため、傾斜のある屋根にも設置できる。

 大阪市福島区の中外産業の印刷工場では今年2月、屋上に約400本を並べた。数年で全面が緑に覆われるといい、同社の徳田栄造社長(65)は「夏場の作業効率が上がり、冷房の管理費も抑えられそう」と期待している。

(2010年5月26日 読売新聞)

カメムシ対策、草刈りの徹底呼びかける

イネの害虫であるカメムシなどの被害を防ごうと、県と農業団体は25日、害虫の温床となる雑草が生えている場所の草刈りを徹底するよう道路や河川を管理している団体や企業に協力を求めています。

 このうち能越自動車道を管理する富山県道路公社には県や全農富山県本部の代表が訪れ、雑草が生えている道路ぞいの斜面の草刈りを7月10日頃までに行うよう求めました。

 これから夏場にかけて雑草が生えている場所では、イネの害虫であるカメムシが繁殖しやすく、コメに斑点ができるなど品質低下につながることが問題となっています。

 なかでも早稲品種への影響が大きく、平成18年には「てんたかく」の生産量の13.4パーセントがカメムシの被害を受けたため、2等米となっています。

棚田新聞:第2号 あぜ塗り “泥と格闘”体力消耗 素人には難しい鍬さばき /山口

<ほぼ週刊>

 雨が上がった11日、火曜日の朝。周南市の中須北地区は静けさに包まれていた。5集落230人ほどで守る棚田の里も、平日は勤めに出る家が多く、田んぼに人影はほとんどない。1アールの棚田オーナーになった記者は、この日が農作業の初日だった。

 午前9時すぎに作業スタート。草刈り機を初めて操り、あぜに好き放題に茂った雑草をバッサバッサと刈っていく。機械の重みで二の腕が時折ピクピクするものの、なかなか順調。あぜの穴から出てくるサワガニとたわむれながら、30分ほどでやり終えた。

 「けっこう早く終わるかも」。淡い期待を抱いたが、やはり甘かった。田んぼの水漏れを防ぐため、あぜの内側を泥で塗り固める第一関門「あぜ塗り」。それはまさに泥との格闘……。

 受け入れ農家の佐伯妙子さん(54)の母ヤエノさん(77)がお手本を見せてくれるが、まず鍬(くわ)が思い通りに使えない。どうしても泥を多くすくってしまい、その重さで無駄に体力を消耗してしまう。ただでさえ調子の悪い腰にくる。だんだん息が上がる。「た・す・け・て。S・O・S…」。そんな心の叫びも、向かいのあぜで見つめるヤエノさんには届かない。

 とはいえ、ところどころで助っ人に入るヤエノさんは頼もしい。泥を平らにのばす鍬の縁(へり)の使い方がソフトタッチで左官職人のよう。ほれぼれするぐらいにうまい。こっちは子どもの泥んこ遊びに毛の生えたぐらい。それでも「あぜ塗りは下手じゃけー」と言うから恐ろしい。

 たかだか20メートルほどを塗り固めるのに、ほぼぶっ通しでも、正午すぎまで2時間ほどかかってしまった。今は機械化が進み、トラクターに付けるタイプが50万円前後で売られている。しかし、棚田のように小さな田んぼは使えない場所もあり、今でも手作業をすることがあるという。

 その夜、風呂上がりに張った湿布は13枚。スースーして寝付けないことしきりだった。【内田久光】

〔山口東版〕

高崎で生息確認 絶滅危惧種ミヤマシジミ

国と県が「絶滅危惧(きぐ)種」に認定するチョウ「ミヤマシジミ」が、高崎市倉渕町の烏川沿いで二十数匹確認されたことが分かった。調査した倉渕公民館によると、県内でまとまった生息数が現在確認できるのは、同所だけとみられる。同公民館は保護活動に乗り出すことを決め、六月十八日に生態報告会などを開催する。

 ミヤマシジミは白色に黒などの模様が入った美しいチョウ。体長約一・五センチ、羽を広げた時の大きさは二~三センチと小さい。県北部の一部などで確認例もあったが、現在はまとまった生息確認は難しいとされる。

 旧倉渕村で十数年前に一匹だけ見つかったが、これまでは採集を避けるために秘匿されてきた。元理科の教員で同公民館嘱託職員の岡田節男さん(62)らが約一年前から調査を始めた結果、一日で二十数匹を確認。このため、同公民館は「内密にするよりも、住民の協力を得て保護を徹底する時を迎えた」と判断し、公表を決めた。

 生態報告会は同公民館で午後二時半から。岡田さんがミヤマシジミの画像を交えながらこれまでの調査を説明。日本チョウ類保全協会の松村行栄理事が助言と講評をする。

 続いて生息地に移り、ミヤマシジミの幼虫が食べる低木樹「コマツナギ」の生育を促すために雑草取りをする。倉渕中学校の生徒や住民らが参加する予定。今後は住民による「守る会(仮称)」も発足させる。

 岡田さんは「ミヤマシジミが生息できる倉渕の環境を守るため、住民や次世代の意識が高まってほしい」と意気込んでいる。

 報告会などの参加希望は、同公民館=電027(378)3113=へ。 (菅原洋)

テッセン やっと開花…奈良・室生

奈良県宇陀市室生区滝谷の「花の郷 滝谷花しょうぶ園」で、テッセンが咲き始めた。春先からの低温続きで開花は10日ほど遅いが、来園者らは、その影響で咲き残ったパンジーやシバザクラ、ヒラドツツジなどとの競演を楽しんでいる。

 園内のテッセンは約150種、3000株。例年は今月中旬に見頃となるが、今年は白い「モンタナ系」や薄紫の「HFヤング」など、早咲き品種がやっと五分咲き。同園によると、6月中旬頃まで楽しめそう。同園の日下志拓也常務は「低温で害虫の発生や雑草の伸びが遅くて助かるが、ハナショウブの開花が遅れるのが心配」と天候不順に気をもんでいる。

(2010年5月19日 読売新聞)

除草担当ヤギです「もっと仕事下さい」

見附市月見台の刈谷田川河川敷で、3頭のヤギが4月から、市の「環境保全職員」として除草作業に奮闘している。市が進める河川敷整備計画の一環で、薬剤や機械を使わない、環境にやさしい除草手段を模索する中、ヤギの旺盛な食欲に着目。1年間の実証実験として放牧が行われることとなった。その食べっぷりの良さに、市は急きょ放牧地の拡大を検討している。

 放牧されているヤギは、いずれも1歳のメス2頭とオス1頭。市の2010年度予算で、ヤギ飼育の普及活動などを行う県内の団体「全国ヤギネットワーク」(代表=今井明夫・新潟大学客員教授)から借り受けた。3頭は4月27日、久住時男市長から焼きノリで作られた“辞令書”をもらい、以来、除草作業に励んでいる。

 3頭は当初、市が設置した600平方メートルの柵内で放牧され、枠内に生える雑草で飼育される予定だったが、「予想を上回る食欲」(市の担当者)で雑草が足りず、現在は、市が管理する公園で刈った草などを運び込んでいる。担当者は「今年は実験だが、これだけの効果があるなら継続できそう」と満足げだ。

 市は周辺を市民の憩いの場とする計画で、ヤギの「集客力」にも期待がかかる。5月の連休中にはヤギを一目見ようと1日100人近くの市民が訪れ、早くも人気者になっている。今年度中には市民とヤギがふれあえるよう、資格を持つ専門の職員を配置する予定だという。

(2010年5月19日 読売新聞)

堀川用水 田植えへすっきり 朝倉

 国の史跡「朝倉の三連水車」がある朝倉市の堀川用水で16日、地元住民らが6月に本格化する田植えに備えて用水路を一斉に清掃した=写真。

 堀川用水は江戸時代の約220年前に筑後川から農業用水を引くために造られた用水路。幹線部分だけで全長10・3キロある。取水口から約1・7キロの用水路と3基の水車群が1990年に国の史跡に指定され、2006年には用水全体が「日本の農業を支えてきた代表的な用水」として農林水産省から「日本の疎水百選」に選ばれた。

 今年が3度目となる一斉清掃には、流域の住民ら約1千人が参加。水路内に捨てられたジュースの空き缶やペットボトルを拾ったり、水路沿いの雑草を刈ったりした。3時間ほどの作業で、古タイヤや空き缶などの不法投棄されたごみは軽トラック4台分も集まった。

着物姿で児童が茶摘み 矢掛

岡山県矢掛町里山田の山田小で14日、初夏の訪れを告げる恒例の茶摘み祭りがあった。児童75人や保護者たち計約200人が運動場隣の茶畑(約7アール)で新茶を収穫した。

 4~6年生は、女子がかすりの着物に姉さんかぶり、男子は法被姿に手ぬぐいの伝統的ないでたちで参加。柔らかな新芽を慣れた手つきで摘み、竹ざるに入れた。午前中だけで55・8キロを取った。

 山田小の茶畑は1929年ごろに静岡産の種をまいた。地区住民も協力して雑草を取り、肥料を施すなど管理を続けている。薬師寺重利校長(54)は「4月が寒く心配したが、連休後に暖かくなり例年並みに育った」と話した。摘んだ葉は井原市美星町の工場で加工。地区住民と味わうほか、老人ホームのお年寄りに児童の手紙を添えて贈る。